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テレビ番組

ナンデモ特命係 発見らくちゃく! 大阪に行きたい… 難病女性の小さな願いSP

番組ID
215867
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放送日時
2021年03月20日(土)15:55~16:55
時間(分)
51
ジャンル
groups
芸能・バラエティー
放送局
福岡放送(FBS)
製作者
福岡放送(FBS)
制作社
福岡放送(FBS)
出演者
スタッフ
カメラ:北川弘典、音声:三宮克己、EED:志村将次、MA:豊増泰之、音響効果:高田巳年男、タイトル:鈴木耕平、ディレクター:新原裕樹、ディレクター:中島翔、ディレクター:轟木洋志、AD:小野香苗、企画:藤谷拓稔、演出:藤谷拓稔、プロデューサー:藤谷拓稔
概要
視聴者からの超個人的な調査依頼を独自に解決する「ナンデモ特命係」。どんな特命でも、リポーター、スタッフが汗まみれになりながら、視聴者の相談に対する答えを発見し、見事一件落着させていく。今回は番組に届いた難病と戦う女性の小さな願いを叶えるスペシャル版。◆女性が抱える病の名は「エーラス・ダンロス症候群」。骨や血管、臓器などが弱くなり、様々な症状を引き起こす難病である。既に聴力は失われ、やがて自分の足で歩くこともできなくなるという。中学生の頃からの夢であった救命士の仕事も、九州選手権で2冠を取るなど学生時代の全てを掛けていた陸上も、病気は奪っていった。「なんで自分ばかりが」と自ら命を絶とうと思ったこともあったが、そんな絶望の淵に立たされた彼女を救ったのは一組のアーティストだった。「生きる希望をくれたアーティストに直接お礼が言いたい!」、病と闘う彼女の願いを叶える旅に出る。しかし、厳しい現実が待ち受けていた。それでも夢を諦めない彼女に奇跡が起こる。
受賞歴
ギャラクシー賞(第58回奨励賞)

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朝鮮戦争下に、米軍岩国基地近くの中学校で綴られた5冊の文集が見つかった。そこには生徒たちが日々の暮らしを題材にした250篇ほどの詩と作文が寄せられていた。「積み上げられたバクダン」、「疾走する軍用ジープ」、「夜の街に立つパンパン」、「空襲に備えた訓練」…。そこには生々しい基地の街の現実が描かれていた。山口県岩国市立川下中学校は川に挟まれた三角州(デルタ)の中にある。文集はこの土地にちなんで『デルタ』と付けられた。通学路の向こうには金網を隔てて広大な基地が広がっている。三角州の大部分はいまも米軍基地だ。『デルタ』が作られたのは終戦から7年後の日本が主権回復をした年。そして朝鮮戦争の真っただ中だった。学校には空襲で家族を亡くした生徒や、朝鮮半島からの引き上げ者もいた。『デルタ』には基地から飛び立っていく爆撃機を見て、空爆を受ける朝鮮の人たちの辛苦に思いをはせた作品がある。一方で、戦後の貧しさの中で家計の支えとなる基地の仕事への感謝を記した者もいた。子どもたちはそれぞれの立場から、基地や暮らし、街の将来を考えていた。『デルタ』には「みなさんはどう思いますか」と教師が生徒に投げかけた言葉も残されている。生徒の証言からも、当時の教室には基地について自由に話し合う生徒と教師の姿があったことがわかる。「教育の中立」を掲げる国の指導で、学校で基地の話題はタブーとなり、『デルタ』はその後作成されることはなかった。それから70年、米軍岩国基地は拡張工事や軍用機の移駐を経て、極東最大級の規模にまで肥大化した。岩国では今、国が巨額の予算が投じ、米軍と住民との共存・融和策が進められている。私たちはかつての子どもたちのように、ちゃんと基地と向き合っているだろうか。基地を抱える街のありようを真剣に考えているだろうか。


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