テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

国宝 吉備津神社 ~地域が受け継ぐ桃太郎伝説~

番組ID
213299
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年06月28日(日)10:05~10:30
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
school
教育・教養
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK岡山
出演者
語り:坂田富司
スタッフ
制作:中澤哲明、演出:深野岳志
概要
桃太郎伝説の発祥の地として名高い岡山市の西部に、伝説の舞台となった吉備津神社がある。国宝に指定されている吉備津神社には、桃太郎のモデルといわれる吉備津彦命をはじめ、犬と雉のモデルとなった人物などが祀られ、それを400メートルの長い回廊が結んでいる。周囲には1400世帯の氏子たちが、神社と強く結びついて暮らしている。夏の「宮内おどり」、実りの秋に氏子が交代でお供えを届ける「氏子日供」、冬に行われる鬼が主役の「鳴釜神事」、吉備津彦命の帰還を祝う春の「七十五膳据神事」などを一年にわたって記録し、美しい映像と氏子の素朴なナレーションで綴る。

同じ年代の公開番組

津軽のミサオさん 笹餅、ときどき五・七・五

太宰治の出身地としても有名な青森県五所川原市金木町。この町に安くておいしい笹餅がある。ほどよい甘さと素朴な味が、地元の人たちに人気だ。津軽地方に伝わるこの笹餅を作っているのは、88歳の桑田ミサオさん。朝3時に起きて笹餅を作り、自転車で朝市へ運ぶ。餅を包むのに欠かせない笹も、自分で山へ採りにいく。昔ながらの手順で作るため、作業は深夜にまでおよぶ。◆「多忙にて 老いの実感 わきもせず」。ミサオさんは日常で感じた事を五・七・五の17文字にしたためる。作業の合間には、入院中の夫・喜代成さんに会いに行く。喜代成さんはミサオさんの作る笹餅が大好きだが、次第に衰弱して、笹餅も食事も摂られなくなっていく。◆ミサオさんは東日本大震災で被災した岩手県の4つの高校に、無償で笹餅を贈っている。すると高校から笑顔で笹餅を食べている生徒の写真が送られてきた。その笑顔をみるにつけ、自分で行って届けたいと思うようになった。そして、2013年12月に岩手・高田高校へ。生徒たちは笑顔で接してくれたが、苦しみはまだ続いていることを知る。◆2014年の春。最愛の夫が亡くなった。死というものを身近に感じたミサオさんは、津軽に伝わる笹餅をなくさないようにと、後継者の育成に力を注いでいる。老いてなお、明るくたくましく生きる88歳の女性の日々を、ユーモアあふれる川柳とともに綴る。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
異端尼僧 ~今を生きる仏教者たち~

日本にあるお寺の数は、コンビニの店舗数を大きく上回る。かつては寺子屋での教育など、地域になくてはならない存在であったお寺だが、現状はどうなのか。曹洞宗僧侶・駒沢大学名誉教授の奈良康明氏は「葬儀が商売化している」と憂い、浄土真宗僧侶・武蔵野大学名誉教授の山崎龍明氏は「お布施で生活が安易に保証され、緊張感が無くなっている」と懸念する。◆愛知県江南市に一風変わった尼僧がいる。寺を預かるのは小林恵明さん。タレントなどの仕事もしていた異色の経歴を持つ。墓地もなく、檀家もいないので、葬儀などによる収入が無い。毎日のように訪れる悩みを持つ人々の相談料が主な収入源だ。小林さんは真摯に悩みを聞き、自分がいじめられた体験を踏まえた話をする。また、彼女は児童虐待防止のNP0活動もしている。悩める子供たちが投函できる「ヒーローポスト」をスーパーなどに設置し、それに対して返事を書くのだ。ヒーローポストを受け入れる宗派の違うお寺もある。◆市民にお坊さんのイメージをインタビューすると「関わりが無い」「葬儀の時だけ」などの答えが返ってきた。しかし飲み屋で週に1日「坊主バー」を開催してお客さんの相手をし、「自分自身を救うお手伝いをしたい」と願い、無償で活動するお坊さんもいる。小林さんは、恋人からパワハラを受けてシングルマザーを決意した女性から、子供の名付けを頼まれた。師匠に相談し、一生懸命考えて「優茉」君の名前を授けた。◆仏教で大切な慈悲心。それを体現しようとしているお坊さんも少なからず存在する。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 人々に情報を “Infomation for People” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆爆心地から約1kmにあった広島中央放送局(当時・上流川町)は、猛烈な爆風と火災で壊滅した。放送機能は完全に停止し、広島の声は途絶えた。しかし、市内から約5km北にあった祇園町の原放送所は無事だった。。「この惨状をすぐに伝えなければ」と6日夕刻には、傷ついた14名の放送・技術部員が次々と到着、原放送所の臨時放送機器の復旧に取り掛かった。「電波は出ているか、電波を出せ、放送を続けよ」(旧広島中央放送局放送部・間嶋輝夫副部長)。翌7日午前9時には放送を再開。第一声は、不安に届ける「県知事の治安に関する告諭」だった。NHK祇園放送所(当時・原放送所)は今もラジオ放送所が電波を発信し続けている。(英語字幕版)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
メ~テレドキュメント 奪還 「英雄」の妻 佐々木敦子の70年

2015年5月、愛知県体育館で「ピンボン外交記念モニュメント」の除幕式があった。モニュメントに書かれたピンポン外交の説明文に、荘則棟の名前はない。そのことを知った佐々木敦子さんは怒りを露にした。建国間もない中国に夢と希望をもたらした荘則棟と、妻・敦子さんの半生を追ったドキュメンタリー。◆敦子さんは1944年に当時の満州で生まれた。そして、終戦後も獣医だった父親の研究のために家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし、敦子さんは祖国での暮らしに馴染めなかった。そんな時に、名古屋で「世界卓球選手権大会」が開かれた。中国選手が参加することがわかり、敦子さんは名古屋へと向かった。選手のいるホテルを訪ね、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘はのちにスボーツ大臣にまでなったが、中国の指導者、毛沢東が亡くなり、荘は「四人組の協力者」と見なされて4年間監禁され、その後、地方に追放された。敦子さんは荘の境遇を知り、北京で再会。荘を救おうとし、いつしか結婚を望むようになった。しかし当初、中国政府は2人の結婚を認めなかった。やがて結婚が認められて、2人は北京で20年以上幸せに暮らす。そして、2013年に荘則棟がガンで亡くなった。中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.