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テレビ番組

ytvドキュメント 少年A ~神戸児童連続殺傷事件 被害者と加害者の20年~

番組ID
212206
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放送日時
2017年05月25日(木)01:39~02:42
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
製作者
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
制作社
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
出演者
ナレーション:藤田千代美
スタッフ
撮影:西川亮、編集:松崎修三、EED:中澤丈、音響効果:久保秀夫、MA:久保秀夫、ディレクター:堀川雅子、プロデューサー:阿部裕一
概要
1997年神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件。山下彩花さん(当時10歳)はハンマーで殴られて死亡。土師淳くん(当時11歳)は頭部を切断されその遺体は中学校の正門に置かれた。加害者は当時14歳。自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った少年は、殺人について「人間の壊れやすさを確かめる聖なる実験」だと表現した。神戸家庭裁判所は性的な未熟さがサディズムにつながったとして医療少年院送致を決定。2005年1月に社会復帰した。償いと謝罪の日々を送ってほしいという遺族の思いを踏みにじるかのように、2015年6月、Aは突然、手記「絶歌」を出版。事件で息子を殺害された土師守さん(61歳)は手記の出版により「息子は2度殺された」と憤り、国に、出版停止の陳情を行った。講演でも理不尽さを訴えてきたが法制度面での改善の兆しはない。また被害者の兄弟を支援する制度も不十分だと指摘する。一方、事件を起こしたA本人の両親。事件から2年後に出した「『少年A』この子を生んで」はベストセラーとなった。しかし出版以降は、Aの少年院仮退院(事件から9年目)に短いコメントを出した以外、沈黙を貫き続けている。息子への現在の思い、加害者の家族として生きるとはどういうことなのか。事件から20年という節目にあたりその思いに迫る。

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