テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

らしく生きる ~丸山夏鈴と母の選択~

番組ID
211231
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年05月24日(火)01:00~02:00
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
福島中央テレビ(FCT)
製作者
福島中央テレビ(FCT)
制作社
福島中央テレビ(FCT)
出演者
スタッフ
制作:斎藤裕樹、演出:藤田潮、撮影:円谷浩一
概要
福島県郡山市出身のアイドル・丸山夏鈴さんは、小学生の頃から7回発症を繰り返した脳腫瘍が肺に転移し、2015年5月に21歳の若さでこの世を去った。彼女が生きた21年は、命の選択の連続だった。夏鈴さんは小学2年生の時に悪性の脳腫瘍を発症、完治の目途とされる5年を待たず中学1年生で再発、この時点で本人と家族は残された時間が少ないことを覚悟する。夏鈴さんは短い命を輝かせるように、アイドルになる夢を描く。大学に進学し、アイドル活動を始めたが、脳腫瘍の再発を繰り返し、腫瘍が肺に転移したことが分かる。手術をしたら病院から出られないと感じた母は、手術をせず、娘らしく生きさせる選択をする。半年後には夏鈴さんに肺転移を告知、彼女は静かに受け入れ、最期までアイドルとして生き抜く決意をした。余命1か月と言われた時点でCDレコーディングを行い、定期的に肺の水を抜きながらライブを続け、CDデビューも果たす。その後、入退院を繰り返すようになると闘病の様子をSNSで発信し続け、それは亡くなる前日まで2か月間毎日続いた。幾度も絶望と闘いながらなぜ強くいられたのか、番組は彼女の人生を見つめた。

同じ年代の公開番組

黒柳徹子のコドモノクニ ~夢を描いた芸術家たち~ 最終回スペシャル アーサー・ビナード 子どもたちに伝えたい大切なこと…

大正から昭和にかけて、芸術家が子どもたちのために作品を寄せた伝説の絵雑誌「コドモノクニ」。これまでの番組では、この伝説の絵雑誌に作品を描いた芸術家たちの人生、そして作品にかける思いを“旅人”たちが探ってきた。◆21世紀の日本にも、子どもたちのために本気で作品を作り続ける芸術家たちがいる。平和への祈りを込めた本の朗読を続けている女優・吉永小百合さん、子どもから大人まで万人の心を打つ詩を作り続ける谷川俊太郎さん、スタジオジブリの監督・アニメーターとして数々の名作を手がける高畑勲さん。彼らの思いに迫る。◆最終回の旅人は、アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードさん。日本在住26年になる彼は、これまで子どもたちのための絵本を数多く発表してきた。翻訳絵本「ここが家だ ベンシャーンの第五福竜丸」、広島の原爆で残されたモノたちが語り出す写真絵本「さがしています」。そして現在取り組んでいる原爆の紙芝居「やわらかな肌」や、吉永小百合さんの詩画集「第二楽章 ヒロシマの風 長崎から」の翻訳など、アーサー・ビナードさんの活躍は多岐にわたる。◆「いま、子どもたちに伝えるべきこととは何か…?」。「黒柳徹子のコドモノクニ」最終回は2時間スペシャルで、今を生きる芸術家の本気のメッセージをおくる。BS朝日開局15周年特別企画。番組ナビゲーターは黒柳徹子。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
新ふるさと百景 夜空高く彩る夏の灯り ~米子がいな万灯~

時代の流れとともに消えようとしている、ふるさと島根・鳥取の素顔、自然、生活、文化、伝承行事などを、映像遺産として後世に伝えるシリーズ番組。太田胃散文化スペシャル。◆米子市の夏の風物詩・米子がいな祭。日暮れ間近から始まる「米子がいな万灯」は祭りの華だ。万灯は提灯が飾り付けられた竹竿を、額や顎、腰などで担ぎその妙技を競う。次々と繰り出される技と夜空高く彩る提灯の揺らめきは、多くの人を魅了する。米子がいな万灯は、東北三大祭りのひとつ「秋田竿燈」の技を習い、米子がいな祭の目玉にしようと31年前に誕生した。空高く掲げられる提灯は、稲穂のようで五穀豊穣を祈願するものだ。この年は45組が参加し技を競った。万灯は中心の竹の長さが約8メートル。46個の提灯で米粒の形を作っていく。演技では1メートルほどの竹を次々と接いでいき、最後は高さ14メートル余りにもなる。30キロもの万灯を手のひらだけで上げるだけでなく、扇子や傘の小物も使い、大技、小技で技を競い合う。担ぎ手の回りでは、鳴子などをもったお囃子隊が盛り上げる。


school教育・教養cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ドキュメンタリー 「助けて」が届くまで ~ある貧困親子の記録~

18歳未満の子どもの6人に1人が「貧困」とされる日本。ひとり親家庭の増加、非正規雇用の問題に加え、国の手当てが行き届いていないなど、複雑な問題が絡む。貧困に苦しむ家庭と、貧困家庭を支援する女性への取材から、貧困家庭のリアルな現状と、貧困から救う手立てについて取り上げる。◆35歳とび職の父親と20歳の母親、2歳の娘の3人暮らしの家庭。10代で実家の福井から夫のいる大阪に移り住んだ母親は、最初は貧しいながらも幸せに暮らしていたものの、次第に子育てと貧困に耐えられなくなる。ついには子どもに手をあげてしまったり、家族を残し家を出て行ってしまう事態に。夫の懸命な捜索と子どもへの思いから無事帰宅するまで、母親の気持ちの移り変わりを中心に描く。そこには、自らもDVを受けたり、子どもにした経験を持ちながら支援者として奔走する、一人の女性の支えがあった。◆2人の幼い子どもを育てる22歳のシングルマザー家庭。子どもの父親の行方が分からなくなり、養育費ももらえず、一時は一家心中することを考えた過去も。そんな時に、子どもたちに無料で食事を提供する「子ども食堂」に出会い、家族丸ごと支えられ、それがきっかけで仕事を始めたり子育てに奔走している。貧困を乗り越えていく様を描く。◆2つの家庭はともに、子育てをするのは成人してまもない母親で、金銭面の悩みに加え、子育ての悩みが圧し掛かることで追い込まれていく。そのような苦しみに寄り添ってあげること、一緒になって考えてあげることが、家庭を救う第一歩であることを訴えかける。TXNドキュメンタリー大賞。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ytvドキュメント かあさんと呼びたい ~原爆孤児を支えた心の里親運動~

山ロ勇子は『おこりじぞう』の作者として知られるが、、彼女が中心となって進めた“精神養子運動”について知る人は少ない。親を亡くした“原爆孤児”の実態調査を行い、救いの手を差し伸べたのが精神養子運動だった。1953年にスタートし、孤児たちが18歳になるまで経済的援助と手紙等の精神的援助を行った。85人がこの制度を使い成長した。山岡秀則さん(75歳)は原爆で父や祖父を亡くし、5歳で孤児となった。小学校5年生の時、精神養子運動により母親・稲葉道子さんと出会う。秀則さんにとって、お母さんの支えこそが戦後の苦しみを乗り越える力となった。山田寿美子さん(72歳)は原爆で両親を亡くし、親戚をたらい回しにされ、小学4年生の時、「人生の師であり、母である」と語る山口勇子と出会う。その後、医療ソーシャルワーカーとなり、「原爆被害者相談員の会」の相談員としても活動している。原爆孤児の母・山口勇子は2000年、83歳で亡くなる。彼女の一番の願いだった「核兵器廃絶」を見届けることはできなかった。しかし「再び原爆孤児をつくるまい」という運動は、今も残された孤児たちに引き継がれている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組