テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

17歳の先生 ~子どもの貧困を越えて~

番組ID
211170
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年05月14日(土)13:00~13:55
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
北海道文化放送(UHB)
製作者
北海道文化放送(UHB)
制作社
北海道文化放送(UHB)
出演者
ナレーション:新崎真倫
スタッフ
撮影:上野嘉之、編集:新沼まさえ、編集:中澤出、効果:山崎夏穂、MA:大出典夫、タイトル:山下司、タイトル:神田靖、CG:山下司、CG:神田靖、ディレクター:涌井寛之、ディレクター:新崎真倫、プロデューサー:吉岡史幸
概要
深堀麻菜香さんは、札幌の高校3年生。本州に出稼ぎに行った父親が失踪し、ローンが払えなくなった一家は、彼女が中学3年生の時に家を失った。深堀さんは2015年10月から、NPOカコタムでボランティアをしている。生活保護やひとり親家庭の子どもたち100人への学習支援を行っている団体で、深堀さんは通ってくる子どもたちに自分を重ねる。そんな子どもたちの一人、中学3年生の遥輝君を、スタッフが心配する。中学卒業後は働きたいと言っていた。精神疾患を抱えている母を家に残して外に出るのが心配という。それでもカコタムには通い続けていた遥輝君は、スタッフの勧めもあり、高校受験を決意した。一方、深堀さんはカコタムでの学習支援以外にも、子どもの貧困問題を考える団体「あすのば」に参加した。「子どもの貧困は親の責任」と言われ、子どもたちが物を言えない現状を変えたいと考えたからだ。教育の前に立ちはだかる「貧困」を乗り越えようと苦闘する若者たちの姿を見つめた。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第64回報道優秀)

同じ年代の公開番組

異見 米国から見た富山大空襲

富山は焼夷弾によって市街地の99.5%を破壊され、戦災都市の中でも飛び抜けた被害を受けた。戦後70年の2015年夏、なぜ富山の街は徹底的に焼き尽くされたのか、日米両国での取材によって解明する。米国立公文書館では、米軍が富山大空襲の直前に、対空砲火を避けるためにB-29の腹を真っ黒に塗っていた事実を突き止めたほか、富山大空襲は、米軍の司令官カーチス・ルメイが陸軍航空軍の38回目の記念日に計画した『祝賀爆撃』であったことを裏付ける映像を発見した。2016年8月、富山を焼き尽くした米陸軍航空軍・第73爆撃航空団の戦友会が、ニューオーリンズで開かれた。会場ではチューリップテレビが取材した元乗組員(92歳)の提案で、富山大空襲検証番組「わすれない~富山大空襲70年目の証言~」の英訳字幕版が上映された。71年前の悲劇を戦勝国、米国の元乗組員たちがどう受け止めるのか。そして軍上層部の命令により、超低空飛行で日本各都市への焼夷弾爆撃を実行した彼らは、あの戦争をどう受け止めていたのか。米国から見た富山大空襲を検証した。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日本遺産〔6〕 “日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島(愛媛県・広島県) / 木曽路はすべて山の中(長野県)

日本各地の有形無形の文化財を歴史的ストーリーで結び合わせ、文化庁が認定した「日本遺産」を各回2件ずつ紹介し、今まで知っているようで知らなかった日本を美しく描き出す。(シーズン1:2016年11月13日~2017年1月29日放送、全11回)◆第6回。前編:「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島―よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶―(愛媛県・広島県)」。中世に瀬戸内海を支配したのは、舟の操作に長けていた村上海賊だった。彼らは激しい潮流を味方につけ、冷静に潮を読む海の科学者であった一方、自然を敬う気持ちを様々な形で表した。この海城や祭りなどに残る村上海賊の記憶をたどる。◆後編:「木曽路はすべて山の中~山を守り山に生きる~(長野県)」。豊かな木曽の山林だが、江戸時代初期には木材需要の急増で伐採が進み、森林資源枯渇に陥った。所管する尾張藩は、禁伐を柱に森林保護に乗り出し、木曽谷の人々は、新たな地場産業に活路を見出した。その結果、木曽漆器などの特産品は御嶽登拝の人々などによって全国に広められた。


school教育・教養cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
新ふるさと百景 160年続く盆踊り ~鳥取・智頭はねそ踊り~

時代の流れとともに消えようとしている、ふるさと島根・鳥取の素顔、自然、生活、文化、伝承行事などを、映像遺産として後世に伝えるシリーズ番組。太田胃散文化スペシャル。◆江戸時代、宿場町として栄えた鳥取県智頭町には、郷土芸能「智頭はねそ踊り」が今も残る。江戸時代末期の安政6年(1859年)、鳥取・鹿野からやって来た酒樽職人が、当時鹿野で流行していた「はねそ」を智頭の若者に教えたことが始まりとされている。以降、夏の盆踊りとしてにぎやかに踊り継がれてきた。市松模様の浴衣に編笠をかぶり、着物の裾をはね上げるように踊る姿から「はねそ」と呼ばれるようになったといわれる。仙台・伊達家のお家騒動をつづった「先代萩」、学問の神として知られる菅原道真の失脚を描いた「菅原伝授手習鑑」などの悲劇のもの浄瑠璃の唄に合わせて踊り、節回しは明るいものの、どことなくもの悲しさを感じさせる。また、住民の中には踊りを覚えている人もいて、飛び入りで踊りの輪の中に参加する姿も見られる。160年もの長い間踊り継がれてきた「智頭はねそ踊り」。町の夏の風物詩として踊り継がれていく。


school教育・教養cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.