テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ETV特集 ガタロさんが描く町 ~清掃員画家のヒロシマ~

番組ID
211059
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2013年08月10日(土)23:00~23:59
時間(分)
59
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHKプラネット、NHK広島
出演者
スタッフ
撮影:川本学、音声:池田真一、音声:浜満陽介、映像技術:鈴木勇二、編集:樫山恭子、音響効果:谷口文雄、ディレクター:中間英敏、制作統括:田辺雅泰、制作統括:田中美利
概要
広島の原爆爆心地近くにある基町商店街で、30年間にわたって清掃員を続けてきたガタロさん(63歳)は、画家というもう一つの顔がある。描くのは、モップや雑巾など、ふだん使う掃除道具。「汚れたトイレを文句一つ言わずに磨く道具たちほど、美しいものはない」と言う。被爆二世のガタロさん。朽ちた原爆ドームや商店街で見かけたホームレスなど、人々が顧みないものも絵にしてきた。清掃員、そして画家としてのガタロさんの人生を見つめる。
受賞歴
「地方の時代」映像祭(2014優秀賞)

同じ年代の公開番組

お願い強く抱きしめて 若年性認知症の妻と生きた日

2012年10月、伊藤たておさん(68歳)は、最愛の妻・霞さん(66歳)の最期を自宅で看取った。52歳で若年性アルツハイマー型認知症を発病し、15年間の闘病の末の死だった。伊藤さんは、霞さんが書き残したメモを大切に保管していた。そこには発病して間もない頃、記憶を失い変わっていく自分に戸惑う霞さんの言葉がつづられていた。◆一方、伊藤さん自身も、誰にも言えぬ苦悩を日記に記していた。「認知症」という言葉もなく、ケアの方法もなかった時代。難病患者団体の代表を務め、出張が多い伊藤さんは、変わりゆく妻をただ見守るしかなかった。そんなとき、霞さんがふともらした言葉を聞いて、伊藤さんは自分に問いかけた。「妻が求めていたものとは何だったのか」。自宅の壁には霞さんの写真が飾られている。しかし、その写真は元気な頃のものではなく、発病後に写されたものだけだ。◆認知症は「治らない病気」とも呼ばれ、「人格が崩壊して行く」という偏見もある。しかし、伊藤さんは「何も分からなくなっているのではない」と断言する。絶望の果てに夫婦がたどり着いたところとは?そして、霞さんが伝えてくれたものとは?…夫婦の魂の記録をつたえる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
RBCザ・ニューススペシャル 車いすで華やかに

沖縄県うるま市にある障がい者就労支援施設「あいとぴあ」。ここで製作される「服」は一般のものとは異なる。シャツにはボタンの替わりにファスナーやマジックを使用し、障がい者が着脱しやすいよう考案されている。「障がい者には、おしゃれする服がない」と話す代表者の富山光枝さん。彼女がデザインする服は機能性に優れ、見栄えも良い。様々な工夫が随所に施されているが見た目は普通の服と変わらない。◆「車いすの花よめ」という名のウエディングショーに、富山さんは数々のカラフルなドレスを出展。車いす利用者をモデルに起用し、それぞれの障がいに配慮した唯一無二のドレスを披露した。そんな富山さんの取り組みが口コミで広がり、製作依頼が入った。「袴で成人式に出たい!」「着物を着て初詣に行きたい!」。人々の望みに応えようと富山さんのアイディアの泉が沸き上がる。◆障がい者にとって一般の服は着るだけで大きな苦労。家族の手を煩わせまいと着やすい服を選ぶので、ファッションが限定されてしまう。やがて友人の披露宴やパーティーなど社交的な場を敬遠するようになり、ひきこもる人もいるそうだ。番組では、障がい者のおしゃれをサポートする活動を通して「服のバリアフリー」が切り拓く可能性を見つめる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ふるさと浪江のために ~浪江焼麺太国~

2013年11月、ご当地グルメによる町おこしの祭典「第8回B-1グランプリin豊川大会」で、福島県浪江町の浪江焼麺太国「なみえ焼そば」が、日本一にあたるゴールドグランプリを獲得した。原発事故でふるさとから避難する中で、浪江焼麺太国がその活動を再開し、B-1グランプリの頂点に立つまでを追った。◆東日本大震災前、浪江焼麺太国は、子どもたちが胸を張って浪江町出身だと言える魅力ある町づくりを目指していた。しかし震災と原発事故によって突如、全町民が避難を強いられる。B-1グランプリに出場し、活動が波に乗ってきた矢先のことだった。浪江焼麺太国のメンバーはふるさとに帰れる日を信じ、「心の復興」を合言葉に、いち早く活動を再開し、「ふるさとのためにもこの活動を続けなければ」と誓い合う。しかし、避難しながらの活動の負担は大きく、活動に参加できなくなるメンバーが増えていった。それでも続けることができたのは、彼らにとって悩みを分かち合い、相談できる仲間がかけがえのない存在だったからだ。そして震災から2年8か月、浪江焼麺太国は活動目的を「町おこし」から「町残し」に替えてB-1グランプリに参加した。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
この海に幸あり

富山湾に面した石川県七尾市能登島長崎町には、24世帯72人が暮らしている。かつては半農半漁の村だったが、いま専業の漁師は中山利則さんだけになった。中山さんは冬はカワハギ、他の季節はタイを獲って生計を立てている。妻の美根子さんと未明に出漁し、戻ってくるのは午後3時頃という生活をずっと続けている。漁師仲間の多くがきつい労働と収入の不安定さから船を降りた。しかし、中山さんは値段の高い魚に狙いを定め、55年間にわたり漁師を続けてきた。◆漁の合間、中山さんは磯へ小船を出し、魚やイカを捕まえる。95歳の父親と3人で囲む食卓には海の幸が並ぶ。中山さんは「体さえ動かせば、食べるものは自給自足できる。海があるから心にゆとりを持てる」と話す。その中山さんは海で遊び、自然に漁師になったという。30年前に父から船を任され、魚の取り方を真剣に覚えた。漁業の面白さを学び、漁師に成長できたのは「育ての親」としての海のおかげだ。◆漁師の仕事は「板子一枚下は地獄」と例えられるほど危険に満ちている。それなのに、なぜ中山さんは海から離れられないのか。番組では、世界農業遺産に認定された「能登の里海」と共にある中山さん夫婦の暮らしを描きながら、その答えを探していく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.