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テレビ番組

FNSドキュメンタリー大賞 ママとぼくと信作と ~命と向き合った家族の10年~

番組ID
208686
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放送日時
2013年05月30日(木)02:00~02:55
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
鹿児島テレビ放送(KTS)
製作者
鹿児島テレビ放送(KTS)
制作社
鹿児島テレビ放送(KTS)
出演者
語り:甲本雅裕
スタッフ
テーマ音楽:吉俣良、撮影:西村智仁、撮影:鈴木哉雄、音声:小原賢文、構成:岩井田洋光、音響効果:田中政文、音響効果:渡辺真衣、MA:濱田豊、編集:下前原章子、題字:本田紘輝、タイトル:福岡悟、デザイン:鈴真一、デザイン:末次奈央、ディレクター:四元良隆、プロデューサー:野元俊英
概要
難病に侵された少年と両親の10年間を追ったドキュメンタリー。苦しい闘病生活の中、本田紘輝くんは様々な感情を込めて絵を描き続けた。彼の死後、遺作の絵画展や学校訪問などの活動を始めた両親の姿を通じて、生きることの意味や大切さを訴える。◆鹿児島県鹿児島市で飲食店を営む本田信作さん。息子の紘輝くんは、170万人に1人と言われる悪性の脳腫瘍「髄芽腫」を発症し、12歳で亡くなった。紘輝くんは4年間の闘病中、「命の叫び」を込めて30枚の絵を描き遺した。今もなお人々の心に「生きることへの希望、夢、生きたいと願った今日の輝き」を伝える紘輝くん。彼と彼を支えた家族や友達のこと、共に病気と闘った人たちの記録をつづる。そして紘輝くんの母であり、信作さんの妻である奈穂美さんが、紘輝くんの絵を胸に自身の病と闘う日々を追う。

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