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テレビ番組

厄介モノは宝もの ~桜島は恵みの山~

番組ID
209588
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放送日時
2014年05月31日(土)12:55~13:50
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
鹿児島テレビ放送(KTS)
製作者
鹿児島テレビ放送(KTS)
制作社
鹿児島テレビ放送(KTS)
出演者
ナレーション:尾堂公信、ナレーション:山上真実
スタッフ
カメラ:笠井徹、カメラ:木原健次郎、カメラ:丸田清司、音声:山下真太郎、音声:小田充穂、音声:海陸大樹、録音:万善弘美、タイトル:福岡悟、デザイン:黒崎佳奈、デザイン:相良千晴、編集:森英任、構成:城啓介、ディレクター:槐島栄一、プロデューサー:下本地章人
概要
60万人が暮らす鹿児島市の目の前に、高さ1,118mの活火山「桜島」がある。日々止むことのない噴煙と雄大な姿は、鹿児島に住む人の心の支え。桜島は鹿児島の象徴だ。しかしいったん爆発すると、火山灰、土石流、火砕流など、数多くの被害をもたらす厄介な山となる。1914年1月の桜島大正噴火では、数千mの高さまで黒煙を噴き上げ、多くの人家や農作地に被害を与えた。まさに陰と陽、相反する顔を持つ山なのだ。◆活火山であるだけにじっと我慢しかないのであるが、この桜島の厄介な火山灰を利用して、鹿児島ならではの特産品や工業品、そしてイベントに逆利用しようと日々頑張っている人々がいる。今や名物となった「灰干し弁当」や、シラスを牛や豚の健康サプリとして利用して肉質を改善、循環型農業を目指す人々の取り組みは、厄介モノを宝ものに変えたといえる。番組では、桜島を恵みの山として新たな価値を生み出す動きを紹介する。

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