テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

未来へ ~原子野からの息吹~

番組ID
208050
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年04月20日(月)00:50~01:20
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
中国放送(RCC)
製作者
中国放送(RCC)
制作社
中国放送(RCC)
出演者
ナレーション:吉田幸
スタッフ
テーマ音楽:二階堂和美、撮影:砂山浩、デザイン:中井大己、EED:野村昌博、MA:平佐英嗣、編集:大島園子、ディレクター:藤原大介、プロデューサー:大原健嗣
概要
1945年8月6日、広島は1発の原子爆弾で焦土と化した。「70年は草木も生えない」と言われ、街の移転さえ議論された。しかし人々は懸命に生き抜き、ふるさとを再建、発展させた。戦後70年、被爆直後からの歩みを当事者に聞く“最後の機会”。被爆3日後の焼け野原に路面電車を走らせた女学生、生きていくために焼け残りの瓦と廃材でバラックを建てた市民、闇市の露店で干し柿を販売して生き抜いた復員兵。ヒロシマ復興の記録を生の証言でつづる。RCC被爆70年プロジェクト。

同じ年代の公開番組

機銃掃射に怯えた日々 ~昭和20年 宮崎の空の下で~

昭和20年3月18日、沖縄上陸を目指すアメリカ機動部隊は九州東海上に空母群12隻を派遣し、艦載機1400機によって南九州や瀬戸内海周辺の航空基地や鉄道施設を攻撃した。宮崎県に対する空襲は、この日から8月の敗戦直前まで続いた。このうち機銃掃射による被害の実態は、これまで明らかにされてこなかった。戦後70年の節目。体験者や遺族からできるだけ多くの証言を集めて、忘れてはならない戦争の実態を浮き彫りにする。◆3月18日、串間市の百野達夫さんが蒸気機関車を運転中に、米軍機から攻撃され、客車は血の海となった。5月2日、延岡市沖の小さな島・島野浦では、国民学校をB24爆撃機が襲い、生徒4人と住民2人が犠牲となった。7月17日、宮崎市の港町・内海地区が攻撃され、国民学校2年生だった大澤ヒロ子さんは右手を失った。8月6日、軍都・都城市が空襲され、坂口フミ子さんは一緒に逃げた5歳の弟を失った。終戦の5日前には、西小林国民学校の児童8人を含む10人が機銃掃射の犠牲となった。番組では、宮崎県内7か所の被害を14人の証言で綴る。特集・戦後70年。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組