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テレビ番組

メ~テレ50周年特別番組 銀球のメッセージ ピンポン外交と名古屋

番組ID
207467
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放送日時
2012年12月24日(月)10:51~11:45
時間(分)
46
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
製作者
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
制作社
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
出演者
ナレーション:大杉漣
スタッフ
撮影:浅井大輔、音声:大泉真一、編集:寺田啓二、編集:河合孝昭、選曲:尾崎勝弘、MA:澤田弘基、ディレクター:村瀬史憲、プロデューサー:井上準、制作統括:齋藤秀明
概要
1972年9月、日本と中華人民共和国が国交を結んだ日中共同声明。その一年半前に、名古屋の愛知県体育館で「第31回世界卓球選手権大会」が開催された。大会には、文化大革命などの影響で国際社会から孤立していた中国の選手団が6年ぶりに参加。メ~テレは中国チームの動向をつぶさに取材し、「小さなピンポン球=銀球が世界を動かした」というタイトルの記録映画を制作。日中友好の「原点」を映し出した。◆この卓球大会はアメリカと中国が接近するきっかけとなったことから、「ピンポン外交」の舞台として世界的に注目を集めた。しかし、日中国交正常化にとっても大きな役割を果たしたことはあまり知られていない。日中の政界関係者などへの長期取材で、卓球大会の裏側で繰り広げられた外交交渉の全貌が今回初めて明らかになった。◆一方、中国が「井戸を掘った友人」と呼ぶ人物が名古屋にいた。中国選手団の大会参加を取り付けるために命がけで交渉した、その男性が胸に秘めていた思いとは何であったのか。そして、日中関係は最悪の状態と言われている今、ピンポン外交の舞台となった名古屋で、新たな日中の架け橋になろうと奔走する人たちが動き出している。メ~テレ50周年特別番組。

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