テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

生活ほっとモーニング〔終〕 最終回!暮らしを見つめた15年

番組ID
207170
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2010年03月19日(金)08:35~09:25
時間(分)
50
ジャンル
adaptive_audio_mic
トーク・ワイドショー
groups
芸能・バラエティー
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
瀬川瑛子大林宣彦、キャスター:黒崎めぐみ、キャスター:永井伸一
スタッフ
概要
平日朝に生放送でおくる生活情報番組。日々の暮らしに役立つ様々な情報、そして人物ドキュメンタリーや社会レポートを、スタジオトークと取材VTRで届ける。(1995年4月3日~2010年3月19日放送)◆最終回。ゲストに歌手の瀬川瑛子と映画監督の大林宣彦を迎え、15年にわたって放送してきた番組を振り返る。取り上げるテーマは「災害から命を守る」「暮らしを豊かに健康に」「社会不安と向き合う」「人生の応援歌」の4つ。キャスターは黒崎めぐみ・永井伸一アナウンサー。

同じ年代の公開番組

ダイドードリンコスペシャル 人生を奏でる おわら風の盆

九月一日から三日三晩、五穀豊穣を願い、八尾の人たちが唄い踊り明かす「おわら風の盆」。ゆるやかなテンポの上を流れるような踊り、洗練された唄声、そして地方の音色。毎年、おわらを一目見ようと多くの観光客が訪れる。中でも“日本の道百選”に選ばれ、観光客に人気の高い、諏訪町。番組は諏訪町に暮らし、おわらに打ち込む人々の生活と、風の盆での様子を追う。◆ベテランの唄い手である老人は病に冒され、去年の風の盆に出演できなかった。しかし、おわらこそ自分の人生だと言い切る彼は、毎日体を鍛え、唄声にも一層磨きをかけ、今年の復活を願う。老人の息子もやはりおわらの魅力に引き込まれ、唄い手となった。父を見守りながら、自身も風の盆で最高の唄を目指す。◆老人はインタビューのたび「俺にはおわらしかない」と言う。彼だけでなく、八尾町民みんなにとって、おわらは人生そのものなのだ。さらに八尾には、おわらが作り出す深い絆がある。交流は家族や世代を超え、年長者は若者を教え論し、若者は年長者を敬う。そんな、昔ながら地域の形が、八尾には生きている。番組では、おわらに打ち込む人々の絆を描く。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBCスペシャル LOTTAPACE(ロッタパーチェ) ~コソボ・哀しみと祈りのハーモニー~

バルカン半島の旧ユーゴスラビアに位置するコソボ共和国。2年前、セルビアからの独立を宣言した。この国のオーケストラを指揮する日本人がいる。長野県下諏訪町出身の指揮者・柳澤寿男さん。コソボでの音楽活動は4年目を迎える。◆2010年7月、柳澤さんはコソボ・フィルハーモニーと来日し、岡谷市などでコンサートを開いた。今回、初めて観客の前で演奏された曲がある。「LATTAPACE(ロッタパーチェ)」。“戦争と平和”をテーマにしたもので、コソボの作曲家によってつくられた曲だ。◆コソボでは、1990年代の終わり、独立を求めるアルバニア人とセルビア軍との間で激しい戦闘が続き、1万人を越える犠牲者がでたとみられている。また、数十万人とも言われる人々が国を追われ難民としての生活を余儀なくされた。曲の背景には、当時の記憶がある。◆ロッタパーチェに込められた思いとは何か。コソボでタクトを振り続ける日本人指揮者・柳澤寿男さんと、戦争の傷跡を抱えながら音楽を糧に生きようとする音楽家たちの記録。


cinematic_blurドキュメンタリーmusic_note音楽tvテレビ番組
ザ・ドキュメンタリー 人生の教室 ~カンボジア日本人教師~

カンボジアで日本語を教えている檜尾睦先生は70歳。日本語教師になったきっかけは、岡山の公立中学の校長時代にネパールの学校を訪問したこと。貧しい中、懸命に勉強する子どもたちの姿に心を打たれた。彼女は日本語教師の資格を取り、定年後の2000年にNGOの募集記事を見て迷わず応募した。無給・生活費持ち出しを承知の上でのことだった。◆初めて踏み入れた教室には、27人の子どもた待っていた。クメール語の分からない教師と、日本語・英語の分からない子ども。先生はかまわず日本語で日本語を教えた。あいさつのできない子、宿題をしてこなかった子には厳しくしかった。その一方で欠席した子どもを気にし、授業の合い間を縫っては子どもの家を訪れ、子どもの様子を聞き、両親に日本語を学ぶ意味を説き続けた。◆カンボジアで暮らして10年。日本語を身につけ、ホテルマンや観光ガイドなどとして自立する教え子も生まれ、先生の出身地・岡山では、教え子を留学生として受け入れてくれる高校も出来た。第二の人生の足跡を着実に残した彼女。「子どもを助けるつもりが、逆に助けられていた」と振り返る。◆最初の教え子たちが、彼女を悲しませ帰国させないよう、言葉の意味は分からなくても彼女の発音通りにオウム返しするよう、打ち合わせていたことを、彼女は後年知ったという。教師として子どもたちを育てる舞台を日本からカンボジアに移した今も、その笑顔はきらめき続けている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.