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テレビ番組

無援 ~ユッケ食中毒事件 遺族の8か月~

番組ID
206566
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放送日時
2011年12月30日(金)13:30~14:30
時間(分)
55
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)、北陸チューリップ、スタジオはい!
出演者
ナレーション:西美香
スタッフ
撮影:森修、撮影:松井隆雄、撮影:五藤充哉、撮影:尾島俊、撮影:村井勝、音声:山岸亮、音声:押川裕太、MA:葛誠司、CG:中沼喜子、取材:川合英文、取材:永井千晶、構成:五百旗頭幸男、編集:五百旗頭幸男、プロデューサー:馬場宏治
概要
2011年4月に起きた「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件。この事件では、人気メニューのユッケを食べた客のうち、富山や福井など4県で181人が重い食中毒になり、子どもを含む5人が死亡した。番組では、ある男性の事件後8か月を通して、救いの手が差し伸べられていない被害者たちの現状を描く。◆ユッケを客に提供した焼肉店と、生の肉を店に納入した卸売業者。双方に刑事責任を問えるかどうかは、未だはっきりしていない。この事件では、生の肉を提供する際の国の判断基準が強制力を持たないあいまいなものだったことが浮き彫りとなる。国の基準をクリアした牛の生肉はそもそも国内で流通しておらず、飲食店が独自の判断で提供しているのが実態だった。さらには富山県のずさんな監視体制も明らかになった。県は死者4人が出たえびす砺波店の立ち入り検査をオープンから2年間一度も行っていなかったのだ。◆「なぜ、家族が犠牲になったのか」。長女の誕生日を祝うため、家族5人で食事をした48歳の男性は妻と義母を失い、高校2年生の長女と中学2年生の長男も一時意識不明となった。事件以降、えびすや行政からも事件の詳しい説明や謝罪はなく、男手ひとつで家族を支えなくてはならなくなった。えびすの運営会社はすでに清算が決まり、莫大な治療費と亡くなった2人の賠償金が支払われる目途はたっていない。事件の当事者たちが誠意ある対応を示さないなか、本来尊重されるはずの遺族の思いは置き去りにされてしまう。事件から8か月が過ぎても、不安と不信に苛まれつづける被害者遺族。番組はその苦悩の記録である。

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