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テレビ番組

テレメンタリー2009 狙われた海 ~沖縄・大浦湾 幻の軍港計画50年~

番組ID
205112
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放送日時
2009年10月05日(月)01:45~02:15
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
琉球朝日放送(QAB)
製作者
琉球朝日放送(QAB)
制作社
琉球朝日放送(QAB)
出演者
ナレーション:三上智恵
スタッフ
題字:金城実、撮影:笠間博之、撮影:長田勇、撮影:山内淳子、撮影:島袋雅也、タイトル:新垣政樹、タイトル:岡部和幸、MA:茶畑三男、MA:渡邊弘樹、編集:笠間博之、効果:兼城忠司、構成:松石泉、ディレクター:三上智恵、プロデューサー:謝花尚
概要
1995年の米兵3人による暴行事件をきっかけに沖縄の基地反対の怒りが燃え上がり、日米両政府は普天間基地の返還に踏み切った。当時の理解はそうであったが、しかしそれは以前から米軍がもくろんでいた海上基地を日本側の負担で建設するための方便に過ぎなかった。軍事的植民地状態に置かれて60年余、かつては基地建設に反対していた地域の漁師たちが、なぜいま声を上げることができなくなっているのか。大国の思惑の影で生きる誇りすらむしばまれていく現状を切りとる。◆1962年、米軍は突然、沖縄県名護市の大浦湾を爆破した。「軍港を作る気だ」と直感した漁師らは反対運動に立ち上がった。当時の新聞記者も、原子力潜水艦も入港できる一大軍港計画があることを見抜く。それは1966年に作られたアメリカ軍の資料で詳細まで明らかになった。しかもそれが、1995年の暴行事件の直後に「普天間代替施設」として復活し、現在進行中の辺野古の基地建設計画のベースになっていることを示唆するメールも入手。当時立ち上がった老漁師と、基地経済にからめとられる現代の漁師を対比しつつ、日米安保の犠牲を強いられる地域で必死に生きる人々の心情を描く。
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