テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ザ・ドキュメンタリー 人生の教室 ~カンボジア日本人教師~

番組ID
204948
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2010年02月21日(日)12:00~12:29
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
テレビせとうち(TSC)
製作者
テレビせとうち(TSC)
制作社
テレビせとうち(TSC)
出演者
ナレーター:中嶋朋子
スタッフ
構成:岩井田洋光、撮影:宮本太、EED:末沢正美、MA:大矢研二、音響効果:横倉晃司、取材:三宅範尚、ディレクター:三宅範尚、プロデューサー:天野憲一郎
概要
カンボジアで日本語を教えている檜尾睦先生は70歳。日本語教師になったきっかけは、岡山の公立中学の校長時代にネパールの学校を訪問したこと。貧しい中、懸命に勉強する子どもたちの姿に心を打たれた。彼女は日本語教師の資格を取り、定年後の2000年にNGOの募集記事を見て迷わず応募した。無給・生活費持ち出しを承知の上でのことだった。◆初めて踏み入れた教室には、27人の子どもた待っていた。クメール語の分からない教師と、日本語・英語の分からない子ども。先生はかまわず日本語で日本語を教えた。あいさつのできない子、宿題をしてこなかった子には厳しくしかった。その一方で欠席した子どもを気にし、授業の合い間を縫っては子どもの家を訪れ、子どもの様子を聞き、両親に日本語を学ぶ意味を説き続けた。◆カンボジアで暮らして10年。日本語を身につけ、ホテルマンや観光ガイドなどとして自立する教え子も生まれ、先生の出身地・岡山では、教え子を留学生として受け入れてくれる高校も出来た。第二の人生の足跡を着実に残した彼女。「子どもを助けるつもりが、逆に助けられていた」と振り返る。◆最初の教え子たちが、彼女を悲しませ帰国させないよう、言葉の意味は分からなくても彼女の発音通りにオウム返しするよう、打ち合わせていたことを、彼女は後年知ったという。教師として子どもたちを育てる舞台を日本からカンボジアに移した今も、その笑顔はきらめき続けている。
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

同じ年代の公開番組

アファンの森の物語

森の再生活動を実践するため、25年前からC.W.ニコルさんが少しずつ土地を買いながら里山を育てている「アファンの森」。荒れ果てていた土地は、愛情と共に人の手を入れることにより、美しく健康的な森へと育ってきた。年毎に絶滅危惧種も増え、熊やふくろうも帰ってくるほど豊かな森となった。人間と自然が共存する豊かな森を育てたい、その思いがニコルさんの活動を支えている。◆日本は森林列島であり、“森の民”であった古来の日本人は自然と密にかかわりあいながら共生し、日常的に自然に触れて暮らしていた。昔も今も変わらず、人間は自然界の一部。“健全な生態系を維持することが、どれだけ大切なことなのか”今だからこそしっかりと感じ、考えなければならない。また、森は多くの恵みを人間にもたらしている。木材だけでなく、私たちの生命を支える水、大気、気候、食糧は、自然の営みなしには考えられない。◆日本中の森がよみがえることを願って誕生した「アファンの森」。雪におおわれた冬の森は静かで、心が浄化されるような心地良さがある。20年ぶりに「アファンの森」を訪れた竹下景子さんは、厳冬の中でも活発に命を育んでいる生き物たちの痕跡を見つける。ニコルさんは竹下さんのために“森の恵み”を使った料理でもてなす。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ドラマスペシャル 外科医 須磨久善

世界初の胃大網動脈バイパス手術、国内初のバチスタ手術を成功させた心臓外科医・須磨久善。須磨はいかにして世界初の術式を編み出し、世界的名声を得たのかを辿る実話に基づいた感動の物語。原作:海堂尊、脚本:矢島正雄。◆天才外科医と呼ばれる須磨久善(水谷豊)は1986年、世界初の胃大網動脈をグラフトに使用した心臓バイパス手術に成功する。非常に難しい手術だったが、神の手と称される高い技術と超人的な集中力、そしてクリエイティブマインド&チャレンジングスピリットという言葉を常に胸に抱き続けることで、新しい領域を開拓したのだった。須磨は日本有数の心臓外科医の地位を築きながらも、秋山医師(小泉孝太郎)らとともに患者の命を救うため、日々医学の限界に挑戦していた。須磨はローマで教鞭を振るう中でバチスタ手術に出会う。バチスタ手術とは生きている心臓の一部を切り取るという手術法で、1万人に一人の難病とされる拡張型心筋症を救う唯一の治療法と考えられていた。しかし、高度な技術を必要とする上に、危険性が高いため、禁断の手術として多くの医師たちは行うことをためらっていた。それでも須磨は脳死の認められていなかった日本にとってこそ必要な術式であると考えていた。そして須磨は日本に帰国し、バチスタ手術に挑むことを決意する。


recent_actorsドラマtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.