テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

育て!ウガンダ野球 ~少年たちを変えた札幌の元教師~

番組ID
200160
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2008年01月13日(日)11:00~11:30
時間(分)
24
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
directions_bike
スポーツ
放送局
テレビ北海道(TVH)
製作者
テレビ北海道(TVH)
制作社
テレビ北海道(TVH)
出演者
語り:大藤晋司
スタッフ
演出:高橋寿也、制作:森田英和、撮影:古野智康、音声:沢里憲荘、編集:田下晃弘、CG:湊修
概要
アフリカ大陸中部に位置する国、ウガンダ。その首都・カンパラから東に80km程の町、ジンジャ。この町の高校セントノアには12歳から18歳までの生徒たちが通う。そこに23人が所属する野球部がある。月収3万円が平均のウガンダの人々にとって、野球道具は極めて高価。部員たちのグローブやバット、ボールに至るまで、お金を出して買ったものなど一つもない。所謂“中古”道具ばかり。しかし決して“ボロ”ではなく、一つ一つピカピカに磨かれ大切に扱われているのが一目で分かる。その彼らを指導するのが、日本人の小田島裕一さんである。ジャイカの野球隊員として派遣されている小田島さんは、元々札幌で教師をしていた。“人づくり”をしたいとアフリカに渡った小田島さんの奮闘ぶりと、たった2年で目覚しい成長を遂げた部員たちの姿を伝える。

同じ年代の公開番組

SBCスペシャル 君の痛みは僕のもの ~いじめと闘う~

自分がいじめられた過去、それが原因の病気を子どもたちに語り、いじめを許さないという決意を叫ぶように訴える男性。その話に心打たれて誰にも言えない悩みを相談しにくる子どもたち。いじめが残す深い傷と、子どもを守る活動を描く。◆長野県上田市の秦健二さんは、小学生の頃にクラス全員からいじめにあい、その精神的な苦痛から「チック症」を発症し、今でも苦しんでいる。その病が原因で、家庭でも社会でも孤立感を強め、自殺を図ったこともある。しかし、その後福祉の仕事にやりがいを見出し、生きる希望をとりもどした秦さんは、現在、いじめに悩む子供を守るNPO法人を立ち上げ、様々な活動を行っている。講演のほかにも、不登校の子供達が自由に過ごせる「居場所」を運営し、傷ついた子供の相談にのっている。毎日のように居場所に通っている中学3年生のかんなは、いじめに苦しみ、一時は死にたいと言っていたが、秦さんの言葉に救われ、高校受験を目指してがんばるようになった。しかし、心の傷が深い彼女は、また中学を休みがちになってしまう。秦さんは、そんな彼女をある場所へと連れて行った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ふくしまの素顔 吉田富三 ~浅川町が生んだ世界の医学者~

吉田富三は明治36年(1903年)2月10日、当時の浅川村本町に造り酒屋の長男として生まれた。東京帝国大学医学部を卒業、病理学を専攻、世界で初めて科学物質によってラットの肝臓に人工がんの生成に成功した。この研究はのちにイギリスのE.L.ケナウェイらの研究と共に、発がん性化学物質を究明する糸口をつくった。この功績により昭和11年、帝国学士院恩賜賞を受賞し、昭和18年6月には、がん細胞の究極の姿とも言われる液状のがんをラットの腹水から発見した。いわゆる「吉田肉腫」と呼ばれる生きたままのがん細胞である。吉田肉腫の発見によって、がんの化学療法への新しい道を開いた。◆吉田富三はがん研究にとどまらず「人間が病気になるということは、身体だけではなく心も病んでいるのだから、その心にまで温かい手を差し伸べるのが、真の医者だ」という考え方から、医療制度の改革にも取り組み、医師の在り方などについての問題提起をするなど力を尽くした。また文部省の国語審議委員として、戦後の国語政策を正道に戻すための発言と活動を繰り広げた。吉田富三博士は文化勲章、勲一等旭日大綬章を受章するなど、大いなる功績を残し、昭和48年4月27日、70歳で世を去った。◆平成5年には、故郷、浅川町に『吉田富三記念館』が建設され吉田富三博士の顕彰事業として毎年、財団法人浅川町吉田富三顕彰会と日本癌学会が共同して、日本の癌研究に功労のあった人に「吉田富三賞」を贈っている。また県内の小学生を対象とし「吉田富三子ども科学賞」を制定して「理科研究の優れた小学生」に賞を贈っている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.