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テレビ番組

どーんと鹿児島 隣人

番組ID
218882
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放送日時
2024年02月07日(水)20:00~20:54
時間(分)
46
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
南日本放送(MBC)
製作者
南日本放送(MBC)
制作社
南日本放送(MBC)
出演者
スタッフ
タイトル:田中達也、テーマ曲:cubesato、撮影:武藤久、編集:武藤久、ディレクター:武藤久、プロデューサー:布袋貴代江
概要
昨年、鹿児島県で働く外国人労働者数が1万2千人を超え過去最多になった。その多くが技能実習生で、深刻な人手不足を背景に増え続けている。鹿児島市内にある技能実習生を受け入れ、日本語や生活ルールを身につける訓練を行い、企業との間で生じる問題を解決するための機関、監理団体・れいめい事業協同組合。2年前、その敷地内にベトナム食品店「Mita Food」がオープンした。提案したのは同監理団体でベトナム語の通訳をしているグェン・ヴァン・ナムさん(32歳)。自分自身も技能実習生として働いた経験があり、少しでも生活の支えになればとの思いから店長を買って出た。店には毎日のように母国の味を求めて技能実習生が訪れる。自転車しか持たず離れた場所で暮らす人のために、無料で配達も行っている。ナムさんは通訳者として技能実習生の気持ちを理解し、企業の要望とすり合わせる重要な役割も担っている。技能実習生の仕事や生活と密接に関わるナムさんの元には、お金や言葉の壁、出産など様々な相談が寄せられるようになった。彼らは異国の地で孤独と不安を抱えながらも、将来の希望を胸に働いている。日常生活の中で目にするようになった「隣人」は、どんな思いで暮らしているのか。ナムさんの日々を見つめた。

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原爆投下直後に日本映画社のスタッフが撮影したフィルムが、ユネスコ「世界の記憶」にほかの写真などとともに登録申請されている。この記録映像を見つめ直す、情報番組「イマナマ!」のニュースシリーズ企画。◆「原子野をフィルムに収めて」(2024年5月23日放送)/日本映画社(日映)元ディレクター・相原秀二さん(故人)の証言をたどる。日映は日本の原爆調査団の補助機関として撮影を始めたが、占領により主導権は米国に移る。フィルムが米国側に没収されても取り戻せるよう「客観的・科学的に撮影すること」を徹底して撮影は続けられた。◆「校舎が『救護所に』…袋町小学校」(7月12日放送)/被爆直後の広島を訪れた日映のスタッフによって撮影された袋町救護病院の映像。実は袋町国民学校(現在の袋町小学校)の建物が臨時の救護所として使われていた。児童・職員はほぼ全滅したが、校舎は当時珍しかったコンクリート造りだったゆえ、かろうじて耐え、傷ついた人を受け入れた。建物には家族に消息を伝えたり、安否を尋ねる「伝言」も残されていた。卒業生3人が当時の記憶を語る。◆「語り始めた92歳の被爆者」(6月4日放送)/原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた才木幹夫さん(92歳)。当時は広島第一中学2年生で、その日は作業が休みだったため、自宅で被爆した。才木さんは一命をとりとめたが、建物疎開に駆り出された生徒ら353人は亡くなった。当時の記憶を封印し、仕事に邁進してきた才木さんだったが、ロシアのウクライナ侵攻を機に「証言者」になることを決意する。あの日の惨状と平和の大切さをどう伝えたらよいか、日々手探りを続けている。


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