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ラジオ番組

アナウンサー百年百話 サハリン残留日本人に思いを寄せて 前編

番組ID
R24878
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放送日時
2022年08月03日(水)10:30~10:45
時間(分)
16
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
adaptive_audio_mic
トーク・ワイドショー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
司会:鎌倉千秋、ゲスト:いとうせいこう、インタビュー:斎藤弘美、聞き手:芳川隆一
スタッフ
概要
2025年3月22日の放送開始100年に向けて、アナウンサーの「ことば」をもとに放送の100年を振り返るシリーズ。様々な場面で情報を伝えてきたアナウンサーが、その時々でどう向き合ってきたのか振り返る。(2022年4月6日放送開始)◆戦後、サハリンに残留せざるを得なかった日本人がいた。元FM東京のアナウンサーで長年帰国事業を担ってきたNPO法人「日本サハリン協会」会長の斎藤弘美さんのインタビューを2回に分けて聞く。第1回は、サハリン残留日本人について、そして斎藤さんが現地取材を通じて訴えてきたことを伺う。終戦当時のサハリンでは父親が戦争に動員された後、長女である女性たちが結婚して自分の子どもとともに母親や兄弟を養っていた。引揚船が来ても長女は身動きが取れず、そのまま残ることが多かった。斎藤さんが現地取材で会った女性たちは日本をとても恋しく思っており、その様子を見て、同じ長女として実情を知らなかったことを申し訳なく思ったと語る。

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