テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

ファンキー加藤の調子どう!?くまもとぉぉお!!!

番組ID
R24064
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2022年04月02日(土)19:30~21:00
時間(分)
60
ジャンル
music_note
音楽
放送局
熊本放送(RKK)
製作者
熊本放送(RKK)
制作社
熊本放送(RKK)
出演者
スタッフ
制作:上妻卓実、ミキサー:川口和正
概要
ファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤がメインパーソナリティを務めた特別番組。冒頭ではファンキーモンキーベイビーズの歴史を代表曲とともに振り返り、ヒット曲の誕生秘話や当時の苦労などを明かす。後半は番組のテイストをHIP HOPに振り切り、若者を中心に人気が高まっている『日本語ラップ』について深堀りしている。最初のコーナー『日本語ラップ入門』では、日本語ラップの起源まで遡り、時代を代表するアーティストを紹介しながら、日本語ラップが形作られてきた歴史を語る。続く『RhymeにDive!直球ど真ん中ストライク!!』では、日本語ラップに欠かせない韻『Rhyme(ライム)』について、その働きや楽しみ方などを実際の歌詞を例にあげながら解説していく。プロのミュージシャンがHIP HOPというカテゴリーに特化して語るという、番組全体を通してマニアックなつくりとなっている。

同じ年代の公開番組

想い出を詩(うた)にかさねて ~さようならNBCビデオホール さだまさしコンサート~

NBC長崎放送は2021年11月に新社屋に移転。移転に伴い、旧社屋と隣接するNBC長崎放送別館はおよそ半世紀の歴史に幕を下ろした。およそ50年前の1972年(昭和47)3月に落成し、そのビル内に文化の発展基地として作られた「NBCビデオホール」はおよそ300席と小規模ながら、多くの長崎市民や県内外の文化事業に活用されてきた。このホールと同じ1972年に結成したのが、歌手さだまさしさんがソロになる前に活動していた「グレープ」である。この年にグレープの最初のコンサートが開催された場所が「NBCビデオホール」だった。グレープの最初のコンサートから50年経った2022年3月29日、30日の2日間、料金は当時と同じ100円でさだまさしさんのコンサートがNBCビデオホールで開催された。抽選で選ばれた全国のファンと共にホールの終幕を飾ったコンサートの模様を放送した特別番組。ナレーションは、当時NBC長崎放送のアナウンサーで、グレープのコンサートで司会を担当した松本則子さん。グレープのメンバー・吉田正美さんもステージに立ち、ファン待望のグレープのコンサートも実現する。


music_note音楽cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
文化放送報道特別番組 命のバトンを託されて ~杉原ビザを繋いだ人たち 

多くのユダヤ人の命を救った「杉原千畝の命のビザ」。番組では、千畝以外にもユダヤ人の命を救った勇気ある人たちにスポットをあて紹介する。◆ユダヤ難民の多くが福井の敦賀港に上陸していたことを知っているだろうか。戦前、欧州と東京をつないだ欧亜列車に乗って多くのポーランド孤児たちが日本に療養に訪れ、後にその経路を使ってユダヤ人たちが日本に避難した。さらには根井三郎という外交官が、渋る外務省本省に抵抗したことで無事にユダヤ人が日本に渡ったことや、ウラジオストックから敦賀を経て神戸・横浜への移動には大手旅行代理店(JTB)がアテンドしていたという意外な史実も判明する。ユダヤ人たちの通過ビザが延長される異例措置は、小辻節三というヘブライ語学者が政治家と渡り合った結果であった。難民にリンゴを差し出した敦賀の子どもたち、体調を崩した難民に治療を施した神戸の町医者など、多くの人たちの尽力でユダヤ難民たちがアメリカなど新世界に渡ってゆくことができ、そうした史実に光をあて続ける多くの関係者たちの存在に辿り着く。敦賀ムゼウム館長の西川明徳さん、ジャーナリストの北出明さん、古江孝治さんらのインタビューも交え、「杉原ビザ」という名のバトンを懸命につないだ人たちの生き様を紹介する。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
文化放送戦後77年スペシャル 13歳少女の「決戦日記」 ~天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ~

2022年2月某日、リスナーの倉見知子さんより、自身の母(村上順子さん)が保管していたという戦中の国民学校3年生~5年生時の“考察(テスト)の解答用紙”と“半紙に書いた習字の現物”が大量に届いた。調べると、それらは大変貴重で興味深い「戦中資料」であることが分かった。資料を紐解くと、戦時教育を象徴するような「軍旗朝風」といったような毛筆習字の数々、また“考査の解答用紙”や“綴り方(作文)”を綴じた冊子をはじめ、さまざまな貴重な記録があった。番組では、戦中の自身を「軍国少女だった」と語る作家の澤地久江さんに倉見さんから届いた「戦中資料」を見てもらい、当時のプロパガンダ教育について実体験を交えながら話を聞いた。 さらに、パーソナリティのアーサー・ビナードさんの義理の母で、開戦当初国民学校3年生だった詩人の栗原澪子さんが、終戦間際に、大日本帝国の勝利を信じ、「決戦日記」と自ら名付けた日記を綴り、その日記が現存していることが分かった。この中で 13歳の少女は“一生懸命戦わなくては”と記し、自分を奮い立たせている。栗原さんには、「決戦日記」の一部を朗読してもらった。 戦時中、誰もが暗記し書写した「教育勅語」。政府は戦時体制を徐々に作りあげ、プロパガンダ教育を強烈に推進し、純粋無垢な少年少女たちは見事に洗脳された。77回目の終戦の日を前に、国家が主導することで疑うことなく受け入れてしまう「怖さ」を語り継ぐ。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.