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ラジオ番組

MBC開局70周年ラジオドラマ 朝はあけたり ~決死の密航 奄美日本復帰を伝えた男たち~

番組ID
R24827
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放送日時
2023年12月25日(月)14:00~14:59
時間(分)
53
ジャンル
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ドラマ
放送局
南日本放送(MBC)
製作者
南日本放送(MBC)
制作社
南日本放送(MBC)
出演者
スタッフ
脚本:飯田健三郎、演出:竪山広行、効果:種子田博邦、音楽:松本圭使、ディレクター:後藤剛、プロデューサー:岡田祐介
概要
1953年12月25日、奄美群島が日本復帰の日を迎える。米軍の統治下にあった奄美群島が日本に返還されることは島民にとっての願いであった。多くの人々が一丸となって行った署名や断食などの復帰運動、その強い思いが実り、ついに日本復帰が果たされたのだ。「ラジオ南日本」が開局したのは、その年の10月10日。8年間の米軍統治から解放される島民の喜びの声をいち早く伝えたいと、2人の放送局員が立ち上がった。しかし、正式な渡航許可は間に合わず、奄美大島にわたる手段は密航しかなかった。使命感を持って報道にあたったアナウンサーの岩橋健正と技術課長の古川満雄、そして彼らの報道を支えた奄美の人々や家族を取り巻く情熱のドラマを、MBC資料室に残る当時の音声も織り交ぜながら12月25日の「復帰の日」に届けた。
受賞歴
ギャラクシー賞(第61回選奨)

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THE INTERVIEW ~戦後78年 東京大空襲を語る 藤間宏夫~

東京大空襲は太平洋戦争末期に、アメリカによって行われた東京都区部に対する大量無差別の空爆作戦。東京は100回を超える空襲を受け、特に1945年3月10日の夜間空襲は大規模のものとなり、この日だけで9万5千人を超える方が亡くなった。沖縄、広島、長崎とならぶ大戦災となった。藤間宏夫さん(85歳)は、東京大空襲・戦災資料センターを中心に、自身の体験を語り講演も行っている。日本橋に暮らしていた藤間さん(当時6歳)が、国民学校初等科入学を待ちわびていたその時、爆撃機B29が約300機も襲来し、大量の焼夷弾を投下。日本家屋を燃やし尽くして下町は焦土化、どこに逃げても火が回っていた。藤間さんは母親と弟と3人で火の海を彷徨い、火傷を負いながら逃げ続けた。翌朝、眼前に飛び込んできたのは燃やし尽くされた町と真っ黒な遺体。その後疎開先の静岡県牧之原でも空襲に遭い、生きていくのがやっとだった。8月15日、玉音放送を聞き怒りを覚えた。何のための誰のための戦争だったのか。藤間さんが空襲体験を語り始めたのは78歳の時だ。戦争を知らない人たちが増えていく中、事実を知らないがために平和を手放してしまう危険が迫っていることを感じ、自身に「事実を伝える責任」があることを受け入れた。次の世代に戦争のない平和な世界を残していかなければならないと強い思いが溢れた。


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