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テレビ番組

忘れてはいけないこと ~認知症受刑者が問いかけるもの~

番組ID
217100
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放送日時
2021年05月22日(土)14:00~14:55
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
岡山放送(OHK)
製作者
岡山放送(OHK)
制作社
岡山放送(OHK)
出演者
語り:岸下恵介
スタッフ
構成:梅沢浩一、ディレクター:岸下恵介、撮影:高原信仁、編集:高原信仁、音響効果:桧山賢至、MA:黒須智貴、CG:小幡珠希、編成:中山裕美子、AP:早川祐貴、プロデューサー:太田和樹
概要
岡山刑務所では刑期10年以上の受刑者400人余りを収容している。半数以上が無期懲役の受刑者で、殺人などの命を奪う生命犯が大半を占める。刑務所では現在高齢化が問題になっている。特に深刻なのが受刑者の認知症だ。法務省が2015年に全国で行った認知症を調べる簡易検査では、60歳以上の受刑者のうち、認知症傾向のある受刑者は約14%、全国に約1300人いると推計されている。岡山刑務所には予備軍を含め認知症受刑者が約20人いるという。ある80代前半の受刑者は数年前に認知症と診断され、自分の年齢も、自分がなぜ刑務所にいるかも思い出せない。社会復帰のための刑務作業も自分の部屋で行う軽作業に留まっている。また認知症の進行を遅らせるため、非常勤の介護福祉士が訪れ、足腰を使った運動を指導したり、テレビを見せて脳に刺激を与えたりするなどの活動が行われている。その光景はまるで介護施設だ。刑務所の本来の目的は受刑者に罪を償わせ、社会復帰させること。しかし、認知症受刑者に対しては、認知症をケアしつつ、適切な介護を行い、同時に贖罪と更生をさせなければならない。刑務所のトップや、専門家、犯罪被害者遺族、法務省への取材などを通じて受刑者の認知症問題を考え、刑務所運営はどうあるべきか考える。
受賞歴
「地方の時代」映像祭(2021年グランプリ)

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映像’21 新発見の価値 ~研究の対価を問う理由~

2018年、京都大学の本庶佑特別教授(79歳)は「がん免疫治療法の発見」でノーベル医学生理学賞を受賞した。免疫を強くする方法ではなく、免疫細胞にブレーキ機能があることを発見し、このブレーキを外してがんを攻撃する治療薬を完成させたのだ。薬の開発には小野薬品と米大手製薬会社と共に進め、2014年「オプジーボ」が誕生。産学連携の成功例と誰しもが思ったが、本庶教授は2019年小野薬品に対し訴訟も辞さない考えを示した。その理由は「特許料率の設定の低さ」だ。1992年「オプジーボ」の元となる分子を発見し、がん治療に応用できないか製薬会社を模索するなか、2006年に小野薬品と特許契約を結んだ。当時、日本では研究者の知的財産を守る専門家も少なく、企業と取り交わす特許料率は極めて低かったという。その後、特許料率の引き上げの交渉を進めるなか「オプジーボ」に酷似した薬を別の大手製薬会社が販売を始め、企業間の法廷争いになった。小野薬品は本庶教授に裁判協力を依頼。裁判の結果が出た際には小野薬品が得られた成果配分の40%を求め、了承を得て出廷し証言したという。裁判は小野薬品側の勝訴的和解に終わったが、後に示された配分の料率は1%だったと訴える。その後、小野薬品は特許料と配分の引き上げの代わりに300億円を京都大学に寄付する提案をしてきたが、合意には至らなかった。「研究の対価が正当に支払われていれば1000億円にのぼる」と本庶教授の担当弁護士は指摘する。本庶教授は研究者が得た成果は正当な対価として還元されるべきだと訴える。裁判という強硬手段に出た背景には、基礎研究者を守りたいという思いがある。がん医療を変えた免疫治療の開発者が新たに投じる一石の行方を追う。


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FNSドキュメンタリー大賞 妻を迎えに ~女川の海に潜り続けて~

宮城県女川町では、東日本大震災で615人が死亡、257人が行方不明となった。この町に住む高松康雄さんは、行方不明となった妻の祐子さんを探すため、潜水士の資格を取り毎週海に潜っている。きっかけは震災から1カ月後に見つかった祐子さんの携帯電話だ。勤務先で避難していた祐子さんは、津波が押し寄せる中、高松さんにメールを送っていた。「大丈夫?帰りたい。」妻の想いに応えるため、海に潜ることを決心した。しかし、1回の捜索で可能な潜水は20分~30分程度。体への影響も考え1日2回までとしている。捜索活動を続けるが、祐子さんにつながるものは見つからない。震災から10年目の2021年3月11日、高松さんは、祐子さんと同じ職場だった犠牲者遺族と一緒に海上から花を手向け、「どこにいるの」と声をかけた。海を見るたび「このどこかにいるのだろう」という気持ちになる。今年で65歳。捜索を始めて7年目。海に潜った回数は 500回に迫ろうとしている。「迎えにいく、会いにいくという気持ちは変わらない。後は体力がどこまで持つか」と語り、高松さんは海に潜り続ける。 


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