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ニュース映画

毎日世界ニュース 419 島の終戦ッ子

番組ID
N00824
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上映日
1959年08月19日(水)
時間(秒)
141
カテゴリ
地域
概要
瀬戸内海の似島。終戦の荒波を乗り越えて14年。似島学園卒業の戦災孤児たちが、今はすっかり一人前になって、お盆の里帰りに学園に帰って来た。懐かしい我が家、似島学園の在校生や親がわりの園長さんに迎えられて嬉しい上陸。見違えるほど大きくなった卒業記念の木。過ぎ去った苦労を後輩に語って励ます顔は、もう立派な社会人だ。この先輩のあとを追って、学園では2百人の子どもたちが集団生活。発育盛りの子に1日67円の食費では食糧が不足がち。そのため毎朝全生徒が農耕作業に参加して学園の一部に農園を開墾し、自活の道を切り開いて、生産意欲を燃やしている。海ではカキの養殖が行なわれ、水産物の研究もなかなか盛んだ。可愛い仔豚の世話に、閉ざされた子供たちの愛情がすくすくと育って行く。子供たちの手で作った「少年丸」。その船が波を立てて進むように、終戦の落し子たちは希望の世界へ力強く船出して行くのだ。

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毎日世界ニュース 423 安保改定を前に 勤評から西尾問題まで

1959年9月8日、日教組(日本教職員組合)は勤評(勤務評定)反対の統一行動を全国に展開。東京では文部大臣に会見を求めたが門を閉ざして面会謝絶。安保条約改定阻止と勤評反対闘争は表裏一体だと気勢を上げたが、教育委員会との団体交渉も物別れとなって、泥沼から一歩もはいあがれない。同じ日、基地砂川町では安保改定阻止の中央大会が開かれ、米軍の駐留は憲法違反であるという東京地裁の判決を支持するデモが、夜の更けるまで続いた。1959年9月9日、ダレス長官の追悼式には吉田茂元首相をはじめ、岸信介総理、マッカーサー米大使ら多数が参列して、安保条約の生みの親ダレス氏を偲んだ。8年前のこの日、サンフランシスコにおいて講和条約および安保条約が調印されたのである。この抱合わせの両条約をめぐって、社会党は講和条約賛成、安保条約反対の立場をとる右派と、両条約に反対する左派が激しく衝突、ついに分裂の憂き目を見るに至った。あれから8年、社会党青年部大会は、議場混乱のうちに西尾末広氏の除名を絶対多数で決議した。こうした中で1959年9月12日、第16回社会党大会を迎えたが、安保闘争に対する西尾氏の言動が党紀に反すると詰め寄る左派と、受けて立つ右派が真向から対立して、冒頭から荒れ模様。大会運営委員会では、決議案をめぐってつかみ合いをする騒ぎ。結果は「西尾氏を統制委員会に付議する決議案」を大会に上程することになった。西尾氏の弁明と、河上丈太郎氏の決議案反対表明に続いて投票に入り、決議案は可決された。こうして社会党は西尾氏の去就をめぐって、統一以来最大の危機を迎えた。


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毎日世界ニュース 434 国会デモ乱入事件

ベトナム賠償をめぐって社会党が激しく政府を追求する1959年11月25日の衆議院外務委員会。自民党が質疑打ち切りを強行したため委員会は混乱、社会党の委員は一斉に退場してしまった。夜も白々と明ける頃、社会党欠席のまま採決に入り、問題のベトナム賠償は本会議に送られ27日早朝ついに衆議院を通過した。その日の午後の国会前は、安保改定阻止を叫んで日本労働組合総評議会(総評)、全日本学生自治会総連合(全学連)のデモ隊2万7千人が押しかけ、人と旗の波で埋まった。右翼も飛び出して、第8次統一行動日は初めから荒れ模様。請願デモの波は続々と正門に殺到、警官隊と揉み合いが続き、双方の負傷者は300人以上に達した。やがて陳情団の代表が国会議員の先導で中に入った。ところがその後から全学連を先頭に、デモ隊がなだれを打って国会構内に乱入、ジグザグデモを繰り返した。浅沼稲次郎書記長の説得も若い学生たちの耳に入らない。こうしてデモ隊が1時間あまりも国会を占拠するという国会史上空前の不祥事となった。この事件の先頭に立って独走した全学連は、検束者を返せと警視庁に押しかけたが、またも検束者を出す結果となった。全学連本部は書類を焼き捨て、東大自治会も門を閉ざし、バリケードを築き、手入れに備えて泊り込みの非常体制だ。波乱の一夜が明けた国会、二度と汚したくない民主主義の殿堂である。


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