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テレビ番組

THE世界遺産〔744〕 マグマが生んだ進化の森 小笠原諸島 日本

番組ID
214883
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放送日時
2011年07月03日(日)18:00~18:29
時間(分)
26
ジャンル
school
教育・教養
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ドキュメンタリー
放送局
TBSテレビ
製作者
TBSテレビ
制作社
TBSテレビ、TBSビジョン
出演者
ナレーター:深津絵里、ナレーター:磯部弘
スタッフ
監修:千葉聡、監修:海野進、構成:七里圭、テーマ曲:小松亮太、テーマ曲:宮本笑里、撮影:榎本茂義、撮影:伊藤亜玲、水中撮影:古島茂、水中撮影:山田鉄也、VE:奥山雅章、編集:飯田直美、EED:大地昌彦、EED:森雄一、MA:中村和弘、音響効果:中島克、CG:前川貢、CG:南弘紀、宣伝:磯谷昌宏、AD:深瀬知里、制作進行:田村英士、協力:藤田潔、協力:伊藤弥寿彦、ディレクター:堀江將一郎、プロデューサー:西野哲史、プロデューサー:堤慶太、プロデューサー:神保泰歩、プロデューサー:高城千昭
概要
本州から南に1000km。大小180もの島々からなる小笠原諸島は2011年に世界遺産に登録された。マリンスポーツが世界的にも有名だが、実は世界遺産に登録された理由は、“海”ではなく“陸”の魅力にある。これまで一度も大陸と繋がったことのない、いわゆる「海洋島」である小笠原諸島。天敵のいないこの島々で、様々な固有の動植物が育まれ、島ごとに異なる生態系を作り上げている。番組では、世界で唯一小笠原諸島に数十羽だけいるという幻の鳥を紹介するほか、近年新種の発見が相次いでいる小笠原のスーパースター、カタツムリを紹介する。
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オーストラリアの田舎町カウラに日本から一人の中学生が留学してきた。彼が大好きなのは野球だが、学校には野球をする生徒はそれまで一人もいなかった。しかし、65年以上前、この地に野球が花開いた時期があった。◆太平洋戦争中、この町には捕虜収容所が設置され、最大で1100人の日本人捕虜が収容されていた。彼らの大きな楽しみが野球だった。バットやグローブは材木を削ったり、支給された革靴をほどいたりして手作りした。オーストラリア側の捕虜の扱いはジュネーブ条約にのっとった良好なものだった。ラインを引く石灰の代わりにメリケン粉を使ったり、魚を要求すればニュージーランドから空輸されたりもした。捕虜の間には生きる喜びが芽生えていた。◆だが、安楽な日々は突然終わりを告げる。1944年8月5日、日本人捕虜が集団脱走。ある者は機関銃に撃たれ、ある者は自ら首を吊って234人が死亡した。きっかけは些細なことだった。捕虜が増えて収容所が手狭になったため、オーストラリア側が捕虜を兵と下士官に分離することを通告したのだ。捕虜であることの屈辱を晴らす機会をうかがっていた一部の強硬派の捕虜が決起を主張する。穏健派は全員による投票を提案するが、投票の際、捕虜を動かしたのは、暴動に反対とは主張しにくい「空気」だった。◆捕虜の中でひときわ目立つ存在だった人物がいる。長くキャンプリーダーを務め、暴動の開始を告げる突撃ラッパを吹いた「南忠男」だ。事件で死亡した南は偽名だったため、長く本名や出身地は謎のままだった。しかし日豪の研究者などの調査で、1980年代になって香川県出身の海軍パイロットとわかった。彼はダーウィン空襲で被弾し、奇跡的に不時着してオーストラリアにおける日本人捕虜の第1号となっていたのだ。◆彼の墓の命日は、カウラ事件ではなく、1回目のダーウィン空襲が行われた1942年2月のままである。その他、多くの捕虜が帰国してみると戦死したことにされていた。カウラ市内の日本人墓地に眠る人の中にも、本当の命日を遺族が知らない人が他にもたくさんいるはずだ。


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