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テレビ番組

いたみ分けあい歩む道 震災障害者のいま

番組ID
214802
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放送日時
2020年01月17日(金)21:00~21:55
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
サンテレビジョン(SUN)
製作者
サンテレビジョン(SUN)
制作社
サンテレビジョン(SUN)
出演者
ナレーション:谷口英明
スタッフ
カメラ:鎌田一成、CA:井上和紀、CA:渡辺大貴、編集:宇田川英一、タイトル:東村靖典、MA:百濟伸晃、ディレクター:溝渕晴香、プロデューサー:篭谷亜美
概要
阪神淡路大震災をきっかけに生まれた「震災障害者」という言葉は、震災によって障害を負い体が不自由になった人たちのことだ。長い間、抱えた思いを共有するすべはなく、世間から忘れ去られた存在だった。転機が訪れたのは2007年。阪神淡路大震災の被災者を支援し続けてきたNPO法人「よろず相談室」が集いを開いたことをきっかけに、同じ思いを抱える人と出会い、時間を共にすることで少しずつ心を癒してきた。震災当時は「震災障害者」という概念がなく、世間から置き去りにされていた。そのため、震災から25年を迎える今も、「震災障害者」が何人いるのか、その人たちがどんな生活を送っているのか正確には分かっていない。番組では、震災で倒壊した自宅の下敷きになるなどして障害を負った3人の震災障害者を取材した。変わってしまった自分の体と向き合いながらも前に向かって歩むそれぞれの日常を取材。同じ境遇の仲間や、支えてきた妻、友人たちとの温かな日々の中に見え隠れするそれぞれの震災の傷とは。

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