テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ミヤギテレビ報道特別番組 定点観「息」 ~みやぎ・平成のキオク~

番組ID
214721
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2019年04月29日(月)10:25~11:25
時間(分)
52
ジャンル
ondemand_video
報道・時事
放送局
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
製作者
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
制作社
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
出演者
ナレーター:柳瀬洋平、ナレーター:浮ケ谷美穂
スタッフ
チーフプロデューサー:庄子繁樹、プロデューサー:新田誠、ディレクター:小野寺聡彦、ディレクター:庄子祐貴、撮影:西條貴之、編集:桜場正一
概要
2019年5月1日、新しい元号「令和」の時代がスタートする。平成最後のこの日、当時の宮城の街や人々の映像を振り返りながら「平成」を見つめる。◆今からおよそ30年前、太平洋戦争、高度経済成長など怒涛の時代を象徴する「昭和」から「平成」に突入した。“ある一定の場所”から平成という時代を見続けてきた人たちの息づかいを伝え、リアリティに富んだ“宮城の平成”を振り返る。

同じ年代の公開番組

WATCH ~真相に迫る~ ローマ教皇からのメッセージ ~戦争はもういらない~

核兵器廃絶を目指して1998年に長崎でスタートした「高校生平和大使」。大使の1人である広島県の松田小春さんは、アメリカで生まれて6歳の時に帰国し、初めて原爆のことを知る。被爆者の声は松田さんの価値観を変えた。「自分にも何かできることがあるはず」、そう考えた松田さんは「高校生平和大使」に応募した。大使としての最初の大きな仕事は、バチカンでローマ教皇の一般謁見に参列し、被爆地のメッセージを伝えることだった。そして2019年11月、今度はローマ教皇が広島を訪れることになり、松田さんはローマ教皇との再会を果たす。教皇は被爆地から、核廃絶のメッセージを発信した。一方、ローマ教皇が被爆地への関心を持つきっかけとなったのは、被爆直後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真だった。撮影したのは、米国の従軍カメラマンだったジョー・オダネルさん。オダネルさんは帰国後、悲惨な記憶とともに写真を封印したが、自らの原爆症の発症をきっかけに写真を公開することになり、それがローマ教皇の心を動かしたのだった。ジョー・オダネルさんの息子、タイグ・オダネルさんは、長崎を訪れ、ローマ教皇との対面を果たす。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日本のチカラ “だがし”で笑顔に!! ~日本最大級だがし店の大いなる夢~

岡山県瀬戸内市、田園風景が広がる町に「日本一のだがし売場」と掲げ、人気を集めている株式会社大町(おおまち)。もともとはお菓子の卸問屋だったが、2011年に店舗の一角で始めた駄菓子の直売が評判となり、今や年間70万人が訪れる人気スポットになっている。広大なスペースに駄菓子や一般の菓子など3000種類が並ぶ中、独特なのがその売場作り。商品は子ども目線で陳列されているだけでなく、1個1個に値段シールがついていて、すべて税込みの10円単位。子どもでも計算がしやすい。非効率なことをいとわず、「子どもが笑顔になる」ことを追求しての結果だった。社長の秋山秀行さん(61歳)は、月に一度のイベントでは「だがしおじさん」に扮し、駄菓子にちなんだ紙芝居で子どもたちを楽しませている。実は秋山さんは、4年前に駄菓子メーカーや卸売り店など協力者とともに「DAGASHIで世界を笑顔にする会」を結成し、日本独自の駄菓子文化を日本国内だけでなく、世界へも発信し、平和の礎にしたいと考えている。そんな中、駄菓子を巡る新たな危機が訪れていた。駄菓子、そして笑顔の力を信じる秋山さんたちの姿を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日本遺産 シーズン3〔5〕 鑿一丁から生まれた木彫刻美術館 井波(富山県) / 山寺が支えた紅花文化(山形県)

日本各地の有形無形の文化財を歴史的ストーリーで結び合わせ、文化庁が認定した「日本遺産」を各回2件ずつ紹介し、今まで知っているようで知らなかった日本を美しく描き出す。(シーズン3:2018年12月2日~2019年1月20日放送、全7回)◆第5回。前編:「鑿一丁から生まれた木彫刻美術館 井波(富山県)」。合掌造りの里「五箇山」で知られる富山県南砺市に、日本屈指の木彫刻の町、井波がある。瑞泉寺を中心に広がる門前町には今も200人を超える彫刻師が暮らし、町を歩けば、トントンとノミの音が聞こえてくる。瑞泉寺の再建時、京都の名工・前川三四郎が地元の大工に彫刻の技を伝え、井波彫刻が始まった。◆後編:「山寺が支えた紅花文化(山形県)」。山形の名刹、山寺(立石寺)は、かつて寺領地内で紅花の栽培を行っていた。紅花の花びらにわずか1%しかない紅色の色素は、高価な口紅や、紅色の染料の材料として非常に貴重だった。江戸時代、最上川を利用した船運ルートが確立されると、山形の紅花は最高級の「最上紅花」として高値で取引され、山形に富と文化をもたらした。


school教育・教養cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.