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テレビ番組

ytvドキュメント かあさんと呼びたい ~原爆孤児を支えた心の里親運動~

番組ID
211538
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放送日時
2016年05月23日(月)02:34~03:29
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
製作者
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
制作社
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
出演者
ナレーション:藤田千代美
スタッフ
撮影:稲津勝、編集:北田雅彦、EED:中澤丈、音響効果:久保秀夫、MA:久保秀夫、ディレクター:阿部裕一、プロデューサー:堀川雅子
概要
山ロ勇子は『おこりじぞう』の作者として知られるが、、彼女が中心となって進めた“精神養子運動”について知る人は少ない。親を亡くした“原爆孤児”の実態調査を行い、救いの手を差し伸べたのが精神養子運動だった。1953年にスタートし、孤児たちが18歳になるまで経済的援助と手紙等の精神的援助を行った。85人がこの制度を使い成長した。山岡秀則さん(75歳)は原爆で父や祖父を亡くし、5歳で孤児となった。小学校5年生の時、精神養子運動により母親・稲葉道子さんと出会う。秀則さんにとって、お母さんの支えこそが戦後の苦しみを乗り越える力となった。山田寿美子さん(72歳)は原爆で両親を亡くし、親戚をたらい回しにされ、小学4年生の時、「人生の師であり、母である」と語る山口勇子と出会う。その後、医療ソーシャルワーカーとなり、「原爆被害者相談員の会」の相談員としても活動している。原爆孤児の母・山口勇子は2000年、83歳で亡くなる。彼女の一番の願いだった「核兵器廃絶」を見届けることはできなかった。しかし「再び原爆孤児をつくるまい」という運動は、今も残された孤児たちに引き継がれている。

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