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テレビ番組

8月6日の切符 ~あの日列車が走った~

番組ID
210923
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放送日時
2016年08月06日(土)10:40~11:40
時間(分)
52
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
中国放送(RCC)
製作者
中国放送(RCC)
制作社
中国放送(RCC)
出演者
ナレーション:泉水はる佳
スタッフ
撮影:高井哲朗、撮影:山藤万維、編集:大島園子、デザイン:中井大己、選曲:長原裕三、EED:野村昌博、MA:上野徹、取材:友定真治、プロデューサー:武田信晃、ディレクター:藤原佳那子
概要
あまり知られていない事実だが、原爆が投下された1945年8月6日、広島で国鉄の列車が運行されていた。その列車によって繋がれた命があった。庄原市の江木千鶴子さんは、あの日乗車した芸備線己斐-備後十日市(現在の西広島-三次)間の切符を、原爆資料館に寄贈した。当時1歳8か月の江木さんは広島駅で母親と共に被爆し、その日のうちに列車で広島を逃れた。生き延びることができたのは、沿線の住民らの救護のおかげだった。一方、原爆投下のわずか1時間後、損傷した広島駅では国鉄職員らが復旧作業を始めていた。現在マツダスタジアムがある第一機関区では、貨車を寄せ集めた避難列車が糸崎駅へ向けて出発しようとしていた。その列車で避難した男性は、今もその時の状況を鮮明に覚えている。鉄路を伝って逃げてくる被爆者を機関車の運転席に乗せ、西条に運んだ国鉄マンもいた。列車によって多くの命がつながった一方で、原爆による混乱は、壊滅した広島市街地から遠く離れた郊外にも広がっていくことになる。広島と広島以外。原爆で分かれた2つの世界を列車は行き来した。列車をめぐるあの日の物語を関係者の証言や残された資料から掘り起こす。

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