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テレビ番組

テレメンタリー2015 満州に進撃せよ! ~草原に眠るソ連軍巨大基地~

番組ID
210470
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放送日時
2015年06月14日(日)05:20~05:50
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
ABCテレビ(朝日放送)
製作者
ABCテレビ(朝日放送)
制作社
ABCテレビ(朝日放送)
出演者
ナレーター:伊藤史隆
スタッフ
題字:絞谷充孝、撮影:小林暢介、VE:田村晋介、編集:中森洋彰、EED:岡田勉、EED:塩村文野、MA:前田陽一、ディレクター:吉原宏史、プロデューサー:星信幸
概要
岡山市に住む歴史研究家の岡崎久弥さんは、人口衛星からの画像を分析していたところ、モンゴル草原に残された巨大な施設跡を発見した。調べを進めると、その痕跡はソ連のスターリンが第2次世界大戦中に築かせた軍事基地である可能性が出てきた。1945年8月9日、ソ連は対日参戦し、旧満州国は崩壊した。予想もしない150万もの大軍による侵攻を可能にしたのは、スターリンが周到に準備したこの巨大基地だったのかもしれない。◆現地調査を行うため、岡崎さんたちはモンゴルへ飛んだ。遊牧民もほとんどいない草原を、GPSを頼りに走行する。走行距離は延べ2700km。そして、延々と続く施設の痕跡を確認した。さらに特別な許可を得て、小型ジェット機を飛ばす。浮かび上がったのは山手線がすっぽり入る規模の巨大な基地跡。それらを結ぶ鉄道跡も見つかった。一体なぜこんな施設が作られたのか。◆1939年に起きたノモンハン事件がきっかけだったと、岡崎さんたちは考える。ノモンハン事件は1939年9月15日に日ソが停戦協定を結んで終わるが、その2日後、ソ連はポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発する。しかしソ連は、対日対策も必要だった。そして6年後、ソ連が満州国へ一気に攻め入った直後、第2次世界大戦は終結を迎える。西側でドイツと戦っていたソ連の大軍が、満州まで移動できたことは謎とされてきた。番組はその謎を解き明かす。第2次世界大戦の始まりと終わりを見直す大きな一歩だ。シリーズ戦後70年(5)。

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