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テレビ番組

SBCスペシャル 俺たち男子新体操部

番組ID
210340
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放送日時
2015年05月20日(水)19:00~19:54
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
directions_bike
スポーツ
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)
出演者
ナレーション:山崎昭夫
スタッフ
撮影:丸山清寿、撮影:原隆、撮影:太田久道、音声:中村豊、音声:高桑隼人、音声:富岡努、編集:和田秀一、編集:小島匡、EED:川村博隆、MA:桑澤康則、CG:竹内あずさ、ディレクター:松井健悟、プロデューサー:堀内宏、プロデューサー:手塚孝典
概要
男子の新体操は全国でも競技人口の少ないマイナー競技。長野県内の高校では、男子新体操部は長野東高校(長野市)にしかない。1978年(昭和53)のやまびこ国体を目指して創部され、40年近い歴史がある。部員は高校生になってから始めた未経験者しかいないが、団体で30回もインターハイに出場してきた。環境面からみると、これまでの活動は「奇跡」と言えるほどなのだ。ところが2014年春、部員は3年生と2年生をあわせて5人だけになっていた。団体戦の規定は6人が基本で、人数が足りなければ減点されてしまう。新入部員が入るものの、誰も新体操の経験はない。減点覚悟の5人か、1年生を入れた6人で挑むか、という基本中の基本から始まり、悩みは尽きない。3年生は最後のインターハイを新体操の聖地・東京の代々木体育館で迎えることが決まり、熱い思いを胸に練習を続けた。6人目のメンバーに抜擢された1年生は、悪戦苦闘の日々が続く。全国の強豪チームが見せる華麗な技とチームワークを前に、彼らはどのような演技を見せるのか。新体操にひたむきに挑み続ける男子高校生たちの、泣き笑いの青春ドキュメンタリー。

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