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テレビ番組

メ~テレドキュメント レベル1 ~御嶽山・届かなかった警告~

番組ID
210430
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放送日時
2015年05月26日(火)09:55~10:51
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
製作者
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
制作社
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
出演者
ナレーション:星恭博
スタッフ
カメラ:水野孝、カメラ:柳迫亮、音声:宇都木琢、音声:中村涼、編集:大久保詩織、編集:松本佳代子、MA:澤田弘基、選曲:北西理恵、CG:櫛谷杏菜、CG:冨成健悟、ディレクター:高羽佑輔、ディレクター:徳満陽介、ディレクター:志村英司、企画:村瀬史憲、プロデューサー:城田達康、プロデューサー:大塚敏郎
概要
2014年9月の御嶽山噴火から8ヶ月。死者57人、行方不明者6人という戦後最悪の被害が出たのはなぜか。どうすれば被害を少なく出来たのか。噴火警戒「レベル1」がもたらした悲劇にこだわり、警戒レベルの導入時の経緯や、なぜ警告が届かなかったのか、取材を重ね、検証する。◆大惨事から時間が経過し、大事な家族を失った遺族が、今の心境を語る。それぞれが「なぜ、異常を見せていたのにレベル1=平常のままだったのか」と悔やむ。噴火の2週間前に火山性地震が観測されても、気象庁は「噴火警戒レベルを上げる必要はない」と判断し、御嶽山の研究者も「しばらく様子を見守ることでよい」とした。その根拠は「御嶽教」のシーズンは8月に終わっているので、登山者はいないということだった。だが実際は紅葉の季節で、絶好の登山日和。はじめての登山という小学生も登っていた。昼時の噴火時には、大勢の登山客が頂上付近にいたのだ。◆気象庁は御嶽山を東京からモニター越しにしか観測していなかった。そして警戒レベルを1にしたまま、火山性地震の急増について「解説情報」を伝えていた。しかし地元自治体は「レベル1」であることを根拠に、登山者に情報を伝えることはしなかった。メ~テレほかメディアの多くも、御嶽山の異常を報じなかった。報道機関も専門家も気象庁も、活火山である御嶽山に対して油断があった。番組では、メ~テレの報道機関としての責任についても言及する。

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