テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

学校のカイダン〔1〕

番組ID
209651
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年01月10日(土)21:00~22:09
時間(分)
58
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
日本テレビ放送網(NTV)
製作者
日本テレビ放送網(NTV)
制作社
日本テレビ放送網(NTV)、日テレアックスオン
出演者
スタッフ
脚本:吉田智子、音楽:松本晃彦、主題歌:B’z、挿入歌:藤原さくら、撮影:市川正明、TD:金子幸男、照明:大前英樹、音声:菊地啓太、VE:弓削聡、VTR:足助学、編集:古屋信人、MA:下村真美子、CG:菊間潤子、選曲:藤村義孝、音響効果:髙木秀和、技術:澁谷誠一、技術:木村博靖、技術:大和賢司、照明:高橋明宏、VFX:木村康次郎、VFX:大角哲也、VFX:荻野隆行、美術プロデューサー:高野雅裕、デザイン:渡辺俊太、美術進行:辻光久、装置:斉藤龍弘、装飾:佐竹諭、衣装:細谷恵子、ヘアメイク:竹内三枝子、ヘアメイク:鈴木麻水美、特殊効果:井川雄史、フード:赤堀博美、宣伝:坂下哲也、宣伝:小嶋恵理、編成:原司、編成:久保真一郎、宣伝:斉藤由美、スチール:萬山昭祥、タイトル画:熊本直樹、指導:蔭山洋介、リサーチ:喜多あおい、スケジュール:鬼頭理三、演出補:田部井稔、制作担当:安丸徹、記録:初山澄乃、AP:渡邉美郁、AP:杉本明千世、デスク:山田雅子、チーフプロデューサー:伊藤響、プロデューサー:福井雄太、プロデューサー:難波利昭、プロデューサー:八木欣也、演出:南雲聖一
概要
名門高校を舞台に、一人の底辺女子高生が伝説のスピーチライターと出会い、コトバを武器に、学校の頂点へと革命のカイダンを駈け上っていく。(2015年1月10日~3月14日放送、全10回)◆第1回。祖父の徳次郎(泉谷しげる)と二人暮らしのツバメ(広瀬すず)は、名門の明蘭学園高校に特別採用枠で編入した。特別採用枠の生徒は“特サ枠”と呼ばれ、他の生徒達からバカにされる毎日。学校にはスクールカーストが存在し、“プラチナ8”と呼ばれる裕福で華やかな生徒たちが君臨していた。ある日突然、ツバメは生徒会長に選ばれる。だが、生徒会長とは名ばかりで、誰もツバメの話を聞いてくれない。途方に暮れるツバメの前に、謎の男(神木隆之介)が現れる。

同じ年代の公開番組

日曜劇場 流星ワゴン〔4〕

絶望の淵に追い込まれ、「もう死んでもいい」とさえ感じていた一雄。そんな時、目の前に停まった不思議なワゴンカーに乗車する。ワゴンが向かうのは、一雄の人生にとって大切な分岐点だ。やがて、決して分かり合えないと思っていた父親・忠雄が同い歳の姿で現れる。後悔の人生をやり直すためのドライブが始まった。原作:重松清。(2015年1月18日~3月22日放送、全10回)◆第4話。自らワゴンを降り、自宅に帰ってきた永田一雄(西島秀俊)。息子の広樹を同級生のイジメから救うため、妻・美代子(井川遥)の実家へ引っ越さないかと提案する。しかしワゴンの事も、未来の事も当然知らない美代子には、一雄の考えがわからない。「美代子は何も心配しなくていいから」いつものように美代子を気遣う一雄。しかしその言葉に、美代子は強く憤る。美代子は密会相手の男と離れたくないのか…そう考えた一雄は、出かける美代子の後をつける。喫茶店に入った美代子を待っていたのは、やはり密会相手の男・古閑(町田啓太)だった。さらに美代子が数十万もの金を古閑に渡すところを目撃し、一雄はショックを受ける。呆然自失のまま家に帰ると、リビングに忠雄(香川照之)がいた。忠雄は話を聞くや否や、突然「金を渡せ」と言って通帳を物色する。しかし家計はすべて一雄が管理しているため、通帳は見つからない…はずだった。忠雄は、隠すようにしまわれている預金通帳を見つける。見れば、500万あった預金が少しずつ引き出され、残高はわずかしか残っていない。美代子は家族の金を男に貢いだのか…。愕然とする一雄。そのとき、ふいに一雄の携帯がなる。それは病院からの電話だった。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
KNBふるさとスペシャル 沈黙の70年 富山大空襲と孤児たちの戦後

「戦争孤児」。戦争が理由で孤児になった20歳未満の人の総称だ。昭和23年2月、当時の厚生省が実施した「全国孤児一斉調査」。その結果、第二次世界大戦による戦争孤児は12万3千人余り、富山県内にも427人いることがわかった。しかし、その事実が明らかにされたのは30年余り後のことだった。◆昭和20年8月2日未明の富山大空襲。米軍のB29が富山市に落とした焼夷弾は56万発以上。死者は約3千人(推計)。米軍が爆撃目標にした市街地破壊率は99.5%と、空襲に遭った日本の都市の中では最も大きな被害を受け、多くの子どもたちが孤児となった。長野県で暮らしている藻谷研介さんもその1人だ。焼かれた富山市の実家跡地や一晩身を置いた松川を息子らとともに訪ね、記憶を語り継いだ。藻谷さんは戦後、縁戚や姉の嫁ぎ先などを転々とし山口県へ。「振り返れば家族再建の70年だった」と振り返る。◆富山市郊外の児童養護施設「ルンビニ園」。昭和22年、戦争孤児を寺に保護したのがその始まりだ。卒園生の坂口勝久さん(北海道在住)は小田原空襲の戦争孤児。ルンビニ園の理事長・恒田仙英さんに会うため、富山市を訪れた。目的は、同窓会作りだ。同じく孤児で、園時代の旧友・鮫島一さんと共に、県内在住の卒園生を訪ねるが…。◆焼け跡にたたずむ子どもたち。そんな孤児たちに国はどのような救いの手を差し伸べてきたのか。戦後補償に詳しい立教大学の前田一男教授は「敗戦で国家の戦争は終わったが、孤児が生きるための戦いはそこから始まった」と語る。戦争孤児の戦後70年の人生を見つめることで、日本が築き守ってきた「平和」を改めて考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.