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テレビ番組

ヒノキは僕らの宝物 若い力が森林を再生する日

番組ID
209462
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放送日時
2014年05月31日(土)13:05~14:00
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
岡山放送(OHK)
製作者
岡山放送(OHK)
制作社
岡山放送(OHK)
出演者
ナレーター:益岡徹
スタッフ
構成:梅沢浩一、撮影:平井大典、編集:平井大典、撮影:渡辺敦、撮影:大山賢太、CG:小幡珠希、編成:冨岡健太郎、広報:中山裕美子、ディレクター:白井大輔、プロデューサー:塚下一男
概要
人口およそ1500人、岡山県北の小さな村・西粟倉村。村の面積の95%を森林が占め、その半分がヒノキだ。かつては日本の五大ヒノキ産地のーつとして栄えたこの村も、安い輸入材に押されて林業が衰退。過疎・高齢化も相まって、手つかずの森林が増えている。◆活気を失っていた村に、今は若者たちの明るい声が響いている。大島正幸さん(33歳)が代表を務める「木工房ようび」。ヒノキをはじめとする木工に魅せられて集まったメンバーは、6人全員が岡山県外からの移住者だ。大島さんが移住を決めたのは、3世代にわたって森を守り続けている延東義太さんの一言がきっかけだった。「きちんと手入れして子供のようにかわいい山なのに誰も欲しがらない」。◆ヒノキは光沢の美しさと香り、強度を兼ね備え、世界最古の木造建築・法隆寺にもみられるように、古くから建材に用いられてきた。しかし他の木に比べて柔らかく、油分が多いため、家具の素材には適していない。大島さんは試行錯誤の末、独自の工法を編み出し、そのタブーを打ち破った。これまで誰も手を付けなかった分野にあえて挑戦したのは、ヒノキの使い道が広がらない限り、村が進める「百年の森林構想」の実現はないと考えたからだ。◆そして、大島さんたちが最も力を入れているのが、ヒノキの学習机づくり体験ツアー。伐採から机づくりまでを親子で体験し、森林と生活の関わりを実感してもらおうというものだ。大島さんは木工の仕事を「ヒノキが育つ長い時間と、家具として使われる長い時間の間を預かる、短いけれど大切な役割」と話す。ヒノキという村の宝物を再び輝かせ、後世に伝えていこうとする若者の姿を追った。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第62回教養番組優秀)

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