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テレビ番組

又吉直樹、島へ行く。 母の故郷~奄美・加計呂麻島へ

番組ID
208344
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放送日時
2014年03月08日(土)21:00~22:55
時間(分)
99
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
BSテレビ東京(BSジャパン)
製作者
BSテレビ東京(BSジャパン)
制作社
BSテレビ東京(BSジャパン)、テレコムスタッフ
出演者
スタッフ
撮影:夏海光造、音声:池田昌史、編集:中山朝生、MA:白井康之、音響効果:玉井実、取材:菅将仁、制作進行:佐伯和哉、プロデューサー:柳川美波、プロデューサー:田川友紀、演出:伊勢朋矢
概要
お笑い芸人のピース・又吉直樹が、母の故郷である奄美・加計呂麻島(かけろまじま)を巡る。島人の暮らしや文化に触れ、自身を見つめ直し、島が見せてくれた風景を、又吉ならではの言葉に変えながらの旅。やわらかな奄美の情景を、原田知世の語りで映し出す。◆第1章「僕の知らなかった島の日々」。コンビニもスーパーもない、島での暮らし。奄美大島まで毎日フェリーで通勤している人も珍しくない。島民たちはリゾートホテル建設を拒否した。この不便な島に人々はなぜ住み続けるのか。又吉、半農半漁の暮らしをつづける男と出会う。◆第2章「島人よ なぜシマ唄をうたう」。“何もない島”で、又吉が出会ったシマ唄。かつて、琉球王朝や薩摩藩から支配を受け続けた島人たちが育んできた奄美独特の文化。シマ唄のシマは、奄美の方言“集落(シマ)”を指している。シマ唄教室を開く女性や、シマ唄を生き甲斐にする老人と出会う。時間を見つけてライブハウスへ、1人歌を聴きに行くという又吉。唄を支えにする島人たちの生き方に、何か通じるものがあるようだ。◆第3章「僕はケンムンに会えるのか」。加計呂麻島には住むという伝説の妖怪・ケンムンを探す。本来は穏健だが、聖域を荒らす人間には危害を加えるそうだ。島人はケンムンに対し、大人も子どもも畏れとともに親しみを抱いている。ケンムンが出ると言われる場所を辿ると見えてくる暮らしの知恵。又吉、「ケンムンを見た」と話す人物に出会う。◆第4章「母を育てた小さな集落(シマ)」。母の故郷「勢里」を、又吉、15年ぶりに訪れる。親戚の話を聞き、さらに身近に触れる島の暮らし。母が徒歩30分をかけて通っていた小中学校へ。忘れていたと思っていた記憶が散り散りに戻ってくるが、見えてくるものは15年前と何処か違う。
受賞歴
ギャラクシー賞(第51回選奨)

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