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テレビ番組

映像’14 知られざる最前線 ―神戸が担ってきた“日米同盟”

番組ID
209414
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放送日時
2014年09月22日(月)01:20~02:20
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
ナレーター:大八木友之
スタッフ
撮影:倉本圭太、撮影助手:中村華奈江、編集:天野衛、録音:田中徳朗、選曲:佐藤公彦、タイトル:秋山美里、VTR:佐藤雅哉、宣伝:渡辺優子、ディレクター:坪井兵輔、プロデューサー:大牟田聡
概要
港町・神戸の知られざる過去を証言とともに紹介し、集団的自衛権の意味を問いかけるドキュメンタリー。◆国際港湾都市として古くから栄えてきた兵庫県神戸市は、太平洋戦争末期、米軍の重要な戦略目標として大きな空襲被害に遭った。戦後も戦略拠点としての神戸の重要性は変わらず、朝鮮戦争では神戸港が米軍に接収され、海兵隊の出撃拠点となったり、その後も米艦船の寄港地として、核を搭載した空母が入港したりしていた。◆朝鮮戦争では、米軍の要請で極秘に出動した輸送船や掃海艇などの民間乗組員が犠牲になっているが、戦後、長い間そのことは秘密にされてきた。当時を知る人は、ひとたび集団的自衛権が行使されれば、「朝鮮戦争の時に起こったことが、今度は公然と行なわれる」と危惧する。

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