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テレビ番組

映像’14 なぜ私は語り続けるのか ~94歳・ある日本兵の戦場~

番組ID
209412
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放送日時
2014年07月28日(月)01:20~02:20
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
ナレーター:湯浅真由美
スタッフ
撮影:薮下卓義、撮影助手:植杉文香、編集:三宅立馬、録音:外島真由美、選曲:佐藤公彦、タイトル:秋山美里、VTR:川上忠士、宣伝:渡辺優子、ディレクター:津村健夫、プロデューサー:大牟田聡
概要
多くの国民の理解を得られないまま、なし崩し的に集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更が閣議決定された。戦後69年、「戦争の実態とはどういうものなのか」が忘れ去られようとしている。そんな戦争の実態を語り継ぐ三重県在住の元日本軍兵士の声に耳を傾け、実際に戦場でなにがあったのか、兵士たちがどのように人間性を失くしていったのかを考える。◆元日本兵の近藤一さん、94歳。激戦となった沖縄戦を生き抜いた。1982年に起きた教科書問題で「沖縄にいた日本兵は悪いことをした」というイメージが定着したことに耐え切れず、自分の戦争体験を話し始めた。しかし、沖縄戦の前にいた中国で日本軍が何をしたかについても語らなければならないと感じ、同様に語り始めた。とくに中国の民衆に対して行った「加害」行為の数々は、これまでほとんど語られたことはなく、聞く人たちに衝撃を与えた。番組は、毎年沖縄で戦友の慰霊をする近藤さんの様子や、中国での行為を悔いながら、そのありのままの事実を語ろうとする近藤さんの思いを追う。
受賞歴
ギャラクシー賞(第52回奨励賞)

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