テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

NNNドキュメント’13 死刑囚の子 殺された母と、殺した父へ

番組ID
208503
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2013年06月24日(月)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
製作者
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
制作社
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
出演者
ナレーション:高川裕也
スタッフ
撮影:稲津勝、企画:苧玉和也、編集:苧玉和也、EED:中澤丈、音響効果:久保秀夫、MA:久保秀夫、ディレクター:宇佐美彰、プロデューサー:大泉純子、チーフプロデューサー:坂泰知
概要
2000年3月。大山寛人さんは当時小学6年生。父から夜釣りに誘われ、喜んで出かけた。助手席の母は動かない。何かが海に落ちる音がした。その後母は、海で遺体となって見つかった。この2年前、父は自身の養父を殺害。共に保険金を詐取していた。殺人犯の息子であり、遺族でもある大山さんは社会から孤立し、自らの境遇を呪い、父を憎んだ。自殺を図るが死ねなかった。3年半ぶりに面会した父はやつれ果てていた。そして最高裁で死刑が確定。父は、現世に未練が残るからもう会いに来ないでほしいという。息子の思いはただ一つ「生きて罪を償ってほしい」。平凡で幸せだった日々、助けられなかった自責の念、母を殺害した父を受け入れていることへの罪悪感…。母の無念と父の犯した罪を一身に背負い、その狭間で続く葛藤を描くことを通じて、死刑制度の現実を見つめる。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第62回報道番組優秀)

同じ年代の公開番組

WATCH ~真相に迫る~ 移植がつないだ命 ~少女はなぜ海を渡ったのか?~

広島県廿日市市に住む菊地咲帆ちゃん。2012年3月、2歳の時に、50万人に1人という心臓の難病を発症した。両親は1億円以上の募金を集め、アメリ力へ渡り、咲帆ちゃんの心臓移植を行った。移植は、閉ざされかけた未来を家族に取り戻してくれた。帰国後、両親は「国内の移植医療の普及のために出来る限りのことをしていきたい」と決意を述べた。そこには言葉の壁や莫大な費用など、海外で移植することの大変さを痛感した両親の思いが込められていた。◆咲帆ちゃんの海外での移植をサポートした荒波嘉男さん。およそ30年前に日本で肝臓移植を待っていた最愛の長女を失って以来、国内での移植医療の普及が一番の目標だ。荒波さんは言う「死生観などの違いはあるかもしれない。しかし今、日本の移植医療の発展のために必要なのは移植に興味を持ってもらうことだ」と。◆臓器移植の裾野が少しずつ拡大している一方、小児の心臓移植は国内でいまだ2例(2013年放送当時)しかない。その厳しい現状を生み出しているのが、こどもの臓器を提供することへの抵抗感だ。その現状に抗うかのように11歳の息子の臓器を提供した夫婦もいる。決断に隠された夫婦の思いとは…。番組では移植医療の現状を浮き彫りにし、普及への糸ロを探る。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
おだづなよ ~復興への船出~

富山県黒部市にある丸中水産のサンマ船「恵比須丸」。2011年3月11日、東日本大震災。丸中水産の第63恵比須丸は津波にのまれて炎上し、宮城・気仙沼港外に沈没した。3か月後、船を海から引き上げることになり、松野社長が現地に向かった。そこで見た無残な船の姿が、社長を突き動かした。◆「もう一度、海へ、漁へ」お世話になった気仙沼のため、被災した乗組員たちの生活を守るため、日本の漁業再生のため…。ところが、船の再出発までには多くの困難が待ち受けていた。被災者たちは明日の見えない暮らしが続いている。建てたばかりの家を津波で失い、その家の借金を抱えながら、アルバイトで家族を養う機関長。親戚9人を亡くし、自宅も津波で流失した乗組員。それでも、海の男たちは失意の底から再び海に出ることを決め、再起を誓う。◆番組では、あの日を境に生活が一変した恵比須丸の船主や乗組員に密着。1年半が経っても変わらぬ被災地の今と、そこに生きる被災者たち、船で結ばれた強い絆。恵比須丸復活までの様々な人間ドラマとともに、再び海に出ようとする海の男たちの生きざまを描く。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
ドナルド・キーン先生日本人となる ~その半生に込められた日本への思い~

3・11東日本大震災の発生を機に、ドナルド・キーン先生は「日本永住」「日本国籍取得」の決意を表明した。そのニュースは大きな反響と感動を呼び起こし、悲しみを胸に秘めて懸命に復興に励む日本の人々への温かいエールとなった。キーン先生の決断の奥にある、日本と日本人への思いに密着する。◆震災後に「日本人になる」と表明したキーン先生の、ニューヨークでの日常から番組は始まる。コロンビア大学での最後の講義や退官セレモニーをカメラは追い、学生たちや取材陣に心境を明かす姿を見つめる。そして、日本文学との出会いは1940年「源氏物語」であったというエピソードから、先生の半生を自身の語りと貴重な歴史的資料や証言、再現映像などで描く。70年以上にも及ぶ長い時を日本文学一筋に生きたキーン先生。日本人とどのように関わり、どのような思いを抱き、研究著作活動を進めてきたかを明らかにしていく。◆キーン先生はニューヨークから日本に戻ってまもなく中尊寺を訪れ、「この人々と共に生き、共に死にたい」と表明した思いの真意を聴衆に語る。日本に魅せられた一人の人間、ドナルド・キーンの半生を通して日本と日本人を見つめるドキュメンタリー。(初回放送:2011年10月16日「ブルボン・カルチャースペシャル」)


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.