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テレビ番組

悲しみを背負って 明かされぬビル倒壊の真相

番組ID
207431
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放送日時
2012年05月06日(日)14:00~15:00
時間(分)
54
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)、北陸チューリップ
出演者
ナレーション:西美香
スタッフ
撮影:柿沢雄二、編集:柿沢雄二、CG:田口衛、ディレクター:島田美沙子、プロデューサー:馬場宏治
概要
2011年2月22日、ニュージーランド・クライストチャーチ市を襲ったマグニチュード6.3の地震。その瞬間、CTVビルが倒壊し、ビル内で語学研修中だった富山外国語専門学校の学生12人が犠牲となった。この地震で倒壊した鉄筋コンクリートのビルは2つだけ。地震による犠牲者の3分の2は、CTVビルの倒壊によるものだ。◆あれから1年。遺族たちは肉親を亡くしたCTVビルの跡地にようやく足を踏み入れることができた。「なぜ、CTVビルだけが倒壊したのか…」「倒壊は人災ではないのか…」。かけがえのない家族の思いもよらぬ死を、遺族は1年経っても受け入れることができない。◆ニュージーランド王立委員会が倒壊原因の調査を始めたが、報告は先延ばしにされた上に、遺族が何度も提出した質問状には何の返答もない。これに先立ち、ニュージーランド政府の建築住宅庁は「CTVビルは建設当時の基準を満たしていなかった」との調査結果を公表している。取材班はビル設計当初に市の職員が設計会社に送付した文書を入手した。内容には設計の不備を指摘する一文があり、今見ればビル倒壊はあたかも人災であるとうかがわせるものだった。◆東日本大震災の衝撃の中で忘れられがちなニュージーランド地震の悲劇。CTVビルはなぜ倒壊したのか。だれの責任といえるのか。番組では、明かされないビル倒壊の謎を追いながら、遺族の思いをつづる。

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