テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

1967年10月2日オールナイトニッポンが生まれた日

番組ID
R23909
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2022年10月03日(月)01:00~03:00
時間(分)
119
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
adaptive_audio_mic
トーク・ワイドショー
放送局
ニッポン放送(JOLF)
製作者
ニッポン放送(JOLF)
制作社
ニッポン放送(JOLF)
出演者
スタッフ
制作:冨山雄一、演出:松島宏、構成:藤井青銅、取材:保坂健二
概要
深夜の若者向け生ワイド番組「オールナイトニッポン」は、1967年10月2日月曜日の深夜25時(3日火曜日午前1時)に始まった。この番組はそれからちょうど55年目の同日同時間帯に生放送された、同番組の成り立ちを振り返る番組。◆制作スタッフが番組の関連資料を探していたところ、ニッポン放送の資料室から番組発足時の編成部長に話を聞いた際(2000年夏)の録音テープが見つかった。今回はそのインタビューなどを聴きながら番組開始時の6人のパーソナリティーのひとり斎藤安弘が深夜放送の黎明期の舞台裏を語る。巷では諸説入り乱れている番組のテーマ音楽「ビター・スウィート・サンバ」を選んだのは誰だ、という「正史」が、当時の関係者の証言によって明らかにされる。聞き手は垣花正。

同じ年代の公開番組

リンゴと青森、そしてアイドル ~樋川新一の挑戦~

青森県弘前市を拠点に活動する「りんご娘」は2000年に結成された「農業活性化アイドルグループ」で、メンバーを入れ替えながら今に至っている。グループを陰で支えているのは樋川(といかわ)新一さん。りんご娘の活動と農業に対する思いについて、樋川さんに話を聞く。◆2022年4月、花が満開のリンゴ畑には、これから「りんご娘」9期生として活動を始める4人の少女たちと樋川さんの姿があった。りんご娘は歌や踊りだけではなくリンゴ栽培の農作業も行う、青森ならではのアイドルグループである。樋川さんは父から継いだ自動車販売会社を経営する傍ら、アイドル育成のためのアクターズスクールと、りんご娘の音楽活動を管理する会社を経営している。グループ結成のきっかけは、バブル経済崩壊後にUターンしてきた樋川さんが見た、閑散とした弘前の商店街だった。アイドルで地元を活性化しようと思い立ち、りんご娘をプロデュースした。2020年、コロナ禍でコンサートがすべて中止になる中、樋川さんはメンバーたちにリンゴ畑の農作業を体験させることにした。その姿を発信することによって若者を農業に呼び込む一助になればよいと考えたのである。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
失望の学び舎 ~さまよえる看護学生たちの告発~

道南の北海道立江差高等看護学院では、「死ね」「デブ」「教える価値はない」など、日常的に教員が学生に暴言を吐いていた。「パワハラがある」と学校や所管する道へ説明を求める学生や保護者たち。耐え切れず退学する学生や休学する学生が後を絶たない。2022年4月、学校で開かれたパワハラ問題の説明会では、「調査します」を繰り返す学校側に、保護者たちの不満は爆発した。保護者たちは、団結して学校や道と対峙していく。レポートの提出を拒む、授業に出席させないなど、悪質な嫌がらせを受けたという学生の証言が増加。道は第三者委員会を設置し調査を開始する。取材を進めると、実質的に学校運営を担っていた副学院長の女性が主導的に学生だけでなく教員に対してもパワハラを行ってきたことが分かった。江差高等看護学院のパワハラで、男子学生が自死した。母親は、「息子は殺された」「道の対応はこれでいいのか」、取材の中で切実な思いを吐露した。多くの若者が傷つき、命までも落としてしまう看護学校。このパワハラ問題を、被害者、加害者の声を通じて伝える。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
“復帰”を二度経験した奄美人(しまっちゅ)

1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して70年。サンフランシスコ講和条約により独立を果たしたとされる日本だが、その内容は沖縄と奄美などを米軍の下に置き去りにするものだった。その後、奄美群島では、米軍政権下で本格的な復帰運動が展開され、ついに奄美群島は1953年12月25日に日本に復帰を果たす。しかしその一方で、基地建設にわく沖縄に移り住み、沖縄の住民と苦楽を共にしていた奄美出身者は、その日を境に「外国人扱い」を受けるようになり、嬉しいはずの復帰が重くのしかかることになる。同じ日本人として沖縄に生き、生活のため復興のために共に力を尽くしてきた奄美出身者たち。沖縄の政治、経済、行政の要職にある人も少なくなかった。しかし、本籍が沖縄でないということで復帰に伴い公職から追放され、参政権も失い、国費留学生への官費支給も停止されることになったのだ。沖縄が本土に復帰する1972年までの19年間、沖縄に住む奄美出身者は、新たな試練に立ち向かうこととなった。沖縄に住む奄美出身者の目線から、復帰までの道のりを振り返る。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.