テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

海の京都 神話紀行〔2〕

番組ID
R21359
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年03月24日(月)15:00~15:55
時間(分)
54
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー・録音構成
放送局
エフエム京都(α-STATION・FM京都)
製作者
エフエム京都(α-STATION・FM京都)
制作社
エフエム京都(α-STATION・FM京都)
出演者
佐藤弘樹、ナレーション:百鳥秀世
スタッフ
ディレクター:鳥井孝彦、プロデューサー:三宅康教
概要
佐藤弘樹が京都府の北部“海の京都”エリアへ、神話を巡る旅に出かける。丹後半島は古くから様々な伝承に彩られている。前回の「天橋立編」に続き、今回は北近畿タンゴ鉄道の話題の列車「あかまつ号」に乗り、丹後大宮から峰山、網野を訪ねる。そして、その地に伝わる伝説を語り部に聞く。丹後大宮では田崎達夫さんの語りで「丹後の小野の小町伝承」。峰山では佐藤弘樹自身の語りと京都在住ピアニストAricoさんによる即興伴奏で「羽衣天女伝説」。最後は吉田正武さんの語りで、京丹後市網野地区や隣の伊根町に伝わる「丹後の浦島伝説」。

同じ年代の公開番組

桃山団地は、本日も晴天ナリ 福島からやってきた母と子の3年間

東日本大震災後、福島県の支援を担当した京都府には福島からの多くの人が避難してきた。京都市伏見区の桃山団地に暮らす齋藤さんは、福島市飯野町から3人の子どもと共に避難してきた。高校生の長女は福島で暮らすことを選び、齋藤さんはそのことを尊重しつつも離れて暮らすことに迷い悩んでいる。長男も高校進学の節目を迎え、親子は高校は福島か京都かという選びようのない選択を迫られる。同じく桃山団地に住む西山さんは福島市から移住。伏見大手筋商店街に避難者と支援者、地域の人たちが集える場所「みんなのカフェ」をつくった。この3年間走り続けてきたが、ふと立ち止まると、娘との時間を大切にする余裕もなかったことに気づく。郡山市から避難してきた山田さんはこの春、京都を離れることを決断した。宇治市のNPOで働いたことをきっかけに様々なことに気付き、福島に戻って福島と京都をつなぐ支援をしたいとい目標も出来た。福島から来た3人の母親を軸に、彼女達の悩みと同時に、普遍的な母親としての悩みを追う。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
「カフェ・デ・モンク」スペシャル・プログラム 震災・語り継ぐこと

3人のゲストと共に、東日本大震災後を前向きに生きるヒントを考える。大野玄妙さんは法隆寺管長で、震災の犠牲者供養と復興を祈願した特別展「法隆寺 祈りとかたち」を仙台市内で開催中である。阪神淡路大震災を経験した小倉健一郎さんは、震災翌日に神戸から駆けつけ、医療を支援してきた。現在は全ての病院が流された石巻市雄勝町に作られた診療所の所長として、無医地区となった町の医療とコミュニティを守る。仙台在住の直木賞作家の熊谷達也さんは、かつて教師として務めた気仙沼を舞台に、被災地の物語を書き続けている。◆鼎談は、地震が起きたあの瞬間をどこでどのように迎えたかから始まる。そして、それぞれが震災とどう向き合っているか、震災があらわにした課題、日本人の精神性、祈ることの意味などが語られる。風化を止めるには、被災地に関心を持ち続けてもらう機会を作ること、経験を語り継ぐことが何より大切であり、震災の経験から生まれた教訓を広く共有することが、次の災害への備えとなる。


adaptive_audio_micトーク・ワイドショーcinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組
報道特別番組 内灘闘争 風と砂の記憶

日本海に面した内灘村(現・内灘町)は、村のほとんどを潟と砂丘地が占める人口約6000人の漁村だった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は日本企業に砲弾を発注し、その性能を検査する試射場が必要となった。内灘村議会、石川県議会をはじめ反対運動が高まったが、内灘村長は補償金などを条件に試射場受け入れを承諾。しかし1953年4月まで4ヶ月の期限付きだった試射場を、政府は永久接収を目論み、継続使用を決定した。対する村民達は永久接収反対実行委員会を結成し、労働組合や学生など全国からの支援を受け入れる。試射が再開されれば永久接収を止められない。6月15日の試射再開前夜、試射場内の権現森の座り込み小屋に向かう一団と警官隊がついに衝突し、反対運動は頂点に達した。翌日試射が再開され、「浜返せ」と叫ぶ“おかか”たちの目前で砲弾が炸裂した。基地はいらないと全国を揺るがした内灘闘争から約60年。内灘村は人口2万7千人のベッドタウンとなった。「風と砂の館」前館長の西尾さんは、「あの頃の人たちは戦争に進むかどうか、ここが分岐点と敏感に感じていた。ボートは後ろを見て漕がないとまっすぐ進まない」と、過去から学ぶことの大切さを訴える。


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成radioラジオ番組