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ニュース映画

毎日世界ニュース 408 ある記念日の表情

番組ID
N00783
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年06月03日(水)
時間(秒)
184
カテゴリ
社会
概要
日本海海戦から55年目の今日、島根県江津市の沖合では、当時金塊を積んだまま沈没したバルチック艦隊イルティシ号の引き揚げが話題を呼んでいる。海底に花束を手向けて戦没者の霊を弔ったが、出て来るのは鉄屑ばかり、今度は慰霊碑を建てるそうで宝探しもいよいよ本格的。1959年5月27日、東郷神社では軍艦旗とZ旗を高くかかげて、東郷平八郎元帥の25周年忌。往時の古強者たちが集まって、かつての栄光の日、日本海海戦の昔を偲んでいた。また、東郷さんの邸跡では山伏たちが集まって、元帥の信仰厚かった117不動さまの火渡り式。熱心な信者たちが熱さを忘れて元帥の霊を慰めた。一方、横須賀の旗艦「三笠」の前では、三笠復元の勧進相撲に横綱若乃花が一役買って力の入った土俵入り。東郷さんはいづこと艦内くまなく覗いて見たら、部屋の片隅からこちらを睨んでいた。今は国破れてキャバレーに残る海軍記念日(5月27日)。東郷元帥の感慨やいかに?

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毎日世界ニュース 436 さよなら日本

1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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