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テレビ番組

NNNドキュメント’24 1秒でも速く 能登半島地震 その時、対岸では…

番組ID
219419
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放送日時
2024年03月18日(月)00:55~01:25
時間(分)
25
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
テレビ新潟放送網(TeNY)
製作者
テレビ新潟放送網(TeNY)
制作社
テレビ新潟放送網(TeNY)
出演者
ナレーション:小山茉美
スタッフ
ミキサー:原田雅代、音響効果:北條玄隆、タイトル:辻諒子、編集:金子哲也、監修:納富隆治、ディレクター:坂野誠、プロデューサー:倉島実
概要
能登半島地震では、震源から100キロ離れた新潟県の沿岸にも、わずかな時間で津波が到達していた。専門家は、日本海沿岸の地震の発生域は比較的陸地に近く、津波が発生した場合、早い時間で陸地に到達しやすいと警告する。上越市の高原一歩さんは避難所のカギが開かず、ガラスを割って入った。屋上から津波を目撃すると「津波は本当に来るんだ」と実感したという。新潟市の和田正紀さんは、家族で避難しようとしたものの、東京から来ていた親戚に危機感がなく説得に時間を要してしまう。海沿いの住民の証言から避難の状況を検証すると、多くの課題が浮かび上がってきた。一方、新潟市内では液状化現象が発生し、石川県の2倍の約1万棟が被害を受けた。過去の地震でも噴き出した泥水が避難の妨げになっていた。2024年元日、能登半島の対岸では何が起きていたのか、新潟の人々の証言から探る。

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