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テレビ番組

テレメンタリー2024 会いたい 認知症家族を捜して

番組ID
218869
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放送日時
2024年01月20日(土)05:20~05:50
時間(分)
25
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
長崎文化放送(NCC)
製作者
長崎文化放送(NCC)
制作社
長崎文化放送(NCC)
出演者
語り:麻生祐未
スタッフ
題字:後田順子、制作統括:関川修一、制作統括:溝田浩司、字幕:吉野史子、字幕:黒崎久子、字幕:東優樹、字幕:井上佳奈、MA:鳥羽隼輔、音響効果:渡辺真衣、撮影:鴨川榮二、撮影:青木秀訓、撮影:福田雅宏、撮影:甲斐大誠、撮影:日高元沙、編集:日高元沙、ディレクター:金山隆之介、プロデューサー:志久弘樹
概要
長崎市新中川町の坂本秀夫さん(73歳)は、2023年4月16日午後4時ごろ、日課の散歩に出たまま行方不明になった。11年ほど前にアルツハイマー型若年性認知症と診断されていたが、家族の名前や自宅住所なども言うことができた。妻・悦子さん(76歳)が携帯電話に連絡すると、「今帰ってきよる」と声を荒らげ、その後も数回通話した後、つながらなくなった。家族は警察に行方不明者届を出し、3日間捜索が行われたが手掛かりなく打ち切られた。長女・愛子さん(45歳)は今も父を捜し続けている。街中や山中を捜し回り、目撃情報が寄せられると県外にも赴き現地を確認する。父の写真や特徴を掲載したポスターを自費で約4,000枚作成し、店舗や警察署、交番、銀行、街頭の掲示板等にも掲示してもらった。SNSも活用し、情報提供を呼び掛けているが発見には至っていない。どこかで生きていること信じ願う一方、もういないのではと不安や絶望が交錯する日々を送っている。警察庁によると、2022年に認知症やその疑いがあり警察に行方不明者として届け出のあった人は全国で延べ1万8,709人と過去最多を更新し、この10年でほぼ倍増している。愛する父を捜し続ける家族とそれを取り巻く社会支援の現状を追った。

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