テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ザ・ノンフィクション特別編 酒と涙と女たちの歌 塙山キャバレー物語

番組ID
217267
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年08月15日(日)19:00~20:55
時間(分)
97
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
ビーエスフジ(BSフジ)
製作者
ビーエスフジ(BSフジ)、フジテレビジョン(CX)
制作社
フジテレビジョン(CX)、スローハンド
出演者
語り:吉岡里帆
スタッフ
構成:茂原雄二、撮影:井手口大騎ダグラス、音響効果:井田栄司、EED:加藤雄一、MA:柳智隆、デスク:伊藤ひろみ(制作)、広報:茨木紗希、テーマ曲:竹原ピストル、編成:宗像孝、演出補:吉田一貴、演出補:荒堀舞、演出:山本草介、撮影:山本草介、プロデューサー:伊豆田知子、チーフプロデューサー:西村陽次郎
概要
茨城県日立市の繁華街から外れた一角に、まるで終戦直後のような光景の場所がある。そこは「塙山キャバレー」、13軒の小さな店が並ぶ飲み屋街だ。各店にはママたちの手料理を目当てに多くの常連客が集う。ある日「塙山キャバレー」の中の1軒「ラブ」のママのもとに、20年前夫の元に置いてきた娘が突然訪ねてくる。最初は再会を喜んでいた2人だが、やがて娘は母に厳しい言葉を投げかけ、再び決別してしまう。店に立つママたちはいずれも過酷な人生を歩んできた。そんな彼女たちが力を合わせてこの特別な場所を守り続けている。そして2021年夏、コロナ禍による苦境に耐えるママたちの元へ、30代の女性が新たに店をオープンするという明るい知らせが舞い込んでくる。開店の日、新米ママをベテランママ達が力強く後押しした。様々な事情を抱える人々の心の拠り所として、女たちが守りつづけてきた塙山キャバレーの1年を追った。
受賞歴
ギャラクシー賞(第59回奨励賞)

同じ年代の公開番組

トンネルの先に 湯沢町と私の未来図

2020年11月、関越道のトンネルを抜ける1台のトラックがあった。トラックに乗る高橋智計さん(38歳)はリゾートマンションの一室を購入。引っ越しのため、湯沢町へ向かっていた。新型コロナウイルスの感染が拡大したことで、仕事が全てリモートワークに切り替わり、首都圏から引っ越すことを決めたという。感染拡大後、湯沢町には次々と高橋さんのような首都圏からの移住者が集まってきている。そんな人たちの移住支援をしているのが民間企業「きら星」だ。2020年4月から町の委託を受け、1年間で30人の移住をサポートした。静岡県出身の松田菜穂子さん(36歳)は「きら星」のサポートを受け、2021年1月、家族と一緒に湯沢町に移住した。元々東京で暮らしていたが、夫の転勤にともない3年前からフィリピンに滞在。しかし、ロックダウンの発表を受けて帰国し、2泊3日の移住体験をきっかけに湯沢町への移住を決めたという。一方、湯沢町に住む美容師・南雲祐子さん(33歳)は、新幹線で東京の美容室に通っていた。しかし、感染が拡大したことで往来が困難となり、美容室を退職する決断をした。介護の資格を取得していた南雲さんは高齢者施設で働きながら、新たな一歩を踏み出す。コロナ禍という長いトンネル。雪国・湯沢で描く未来図とは。感染拡大に翻弄されながらも、新たな人生の一歩を踏み出した人たちの思いに迫る。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’21 凍土の記憶 ~96歳が伝えたシベリアの強制労働~

10月7日は京都府舞鶴市にとっては特別な日である。1945年に第二次世界大戦後の満州やシベリア抑留からの引き揚げ者を迎えたのがこの日だった。以来13年間にわたって約66万人の帰国者と遺骨1万6千柱が、舞鶴港からふるさとへ帰っていった。「シベリア抑留」は、終戦後に、満州の軍人らが次々とソ連へ連行され強制労働させられたことを指す。京都府綾部市の原田二郎さん(96歳)もその一人。16歳の時に満州にわたり、衛生兵として働いていたが、戦後シベリアへ送られた。零下30度、飢えやノルマに追われる過酷な環境で4年間働き続けた。帰国後は毎晩、悪夢に苦しんだ。満州で看護にあたった両手両足のない負傷兵の姿が脳裏に焼き付いて離れなかった。その苦しみは50年間続き、家族にさえ打ち明けたことはなかったが、ある日、地元の婦人会から声がかかり、自らの戦争体験を語ったところ、その晩から悪夢は消えた。この経験を機に語り部ボランティアを始めた。「記憶の封印」を自ら破り「継承」しようとするのは、戦争を二度と繰り返してほしくないという強い思いがあったからだ。精力的に語り部活動を続けた原田さんは、2021年7月、老衰のため息を引き取った。戦後76年、原田さんが伝えた激動の人生と平和への願いは、父から娘へ継承されている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組