テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

日曜劇場 この世界の片隅に〔4〕

番組ID
215365
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2018年08月05日(日)21:00~21:54
時間(分)
47
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
TBSテレビ
製作者
TBSテレビ
制作社
TBSテレビ
出演者
スタッフ
原作:こうの史代、脚本:岡田惠和、音楽:久石譲、美術プロデューサー:永田周太郎、デザイン:永田周太郎、美術制作:野中謙一郎、装飾:奈良崎雅則、装置:田中健一、操作:山井照雄(大道具)、VFX:松野忠雄、VFX:宮崎浩和、衣装:小菅大也、ヘアメイク:蜂須賀佳代、ヘアメイク:千葉友子、ヘアメイク:若林幸子、かつら:磯部館嘉彦、TM:田中浩征、撮影:花村也寸志、撮影:矢崎勝人、映像:木部伸一郎、照明:阿部慶治、音声:土屋年弘、編集:松尾浩、ライン編集:和田典子、ライン編集:塚本翔平、選曲:藤村義孝、音響効果:岩尾亮太、MA:川口俊、その他:松本博樹(予告)、その他:松本博樹(スポット)、音楽コーディネーター:溝口大悟、音楽コーディネーター:久世烈、時代考証:山田順子、ことば指導:小豆畑雅一、ことば指導:沖田愛、考証:相原謙次(海軍)、考証:国本康文(海軍)、編成:上田淳也、編成:中島啓介、宣伝:小山陽介(番組)、宣伝:井田香帆里(番組)、宣伝:川鍋昌彦(広告)、スチール:大竹晶之、ディレクター:梅田悟司(コミュニケーション)、HP:竹内けい、アートD:田村雪絵、アートD:佃優衣子、ライセンス:柳岡舞子、スケジュール:堀口明洋、演出補:松川嵩史、演出補:宮崎萌加、記録:加山くみ子、デスク:藤田順子、制作:露崎裕之(管理)、制作担当:千葉耕藏、制作主任:岩澤正和、制作主任:小林正和、プロデューサー補:佐久間晃嗣、プロデューサー補:石川涼子、プロデューサー:佐野亜裕美、演出:吉田健
概要
太平洋戦争のさなか、広島市の江波から呉に嫁いだ少女が嫁ぎ先で様々な不安や苦悩と闘いながらもけなげに暮らす、そのかけがえのない日常を丹念に描く。原作:こうの史代、脚本:岡田惠和(2018年7月15日~9月16日放送、全9回)◆第4回。1944年8月のある日、すず(松本穂香)が段々畑から見える呉湾をスケッチしていると、通りがかった憲兵からスパイ行為だと厳しく言い寄られる。憲兵のあまりの剣幕にすずは恐怖に包まれる。何とかその場は納まったものの、すずはショックで寝込んでしまう。その夜、まだ体調が悪いすずを家族は心配する。夏バテや疲れではないかと言い合う中、円太郎(田口トモロヲ)は子供ができたのではと口にする。そんな北條家を、径子(尾野真千子)が亡き夫の実家に残してきた長男・久夫(大山蓮斗)が訪ねてくる。

同じ年代の公開番組

薫ちゃんへ。 1825通のラブレター 認知症の妻へ

瀬戸内海と宇和海に囲まれた半島の街、愛媛県伊方町。ここに、14年間認知症と向き合っている一組の夫婦がいる。金森一臣さん(67歳)と妻・薫さん(68歳)である。同級生の二人は中学年のとき、薫さんが一臣さんにラブレターを渡したことから交際をスタートさせ、21歳で結婚、以来46年、二人で歩んできた。二人の子供を育て上げた夫婦に異変が起きたのは薫さんが55歳のときだった。薫さんの物忘れがひどくなり、大学病院で「アルツハイマー型若年性認知症」との診断が下された。ゆっくりと症状は進み、今では過去の記憶を思い出すことはほとんどできない。それでも一臣さんの名前だけは憶えている。施設への入居を考えたこともあるが、現場を見て薫さんを預ける気にはどうしてもなれなかった。一臣さんは症状がさらにひどくなり始めた5年前からノートに二人の日々を綴り始めた。5年間毎日綴られた言葉は、薫さんへの愛に満ちている。食事の準備、身の回りのお世話、その大変な労力の中で、たとえ返事がなくても一臣さんは優しく笑い、語りかけ、一緒に歌を歌う。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
イチスペ! ふたつのふるさと

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。震災前、ここには全国から注文が相次ぐ、かりんとう工場があった。経営者の阿部雄悦さん(77歳)は、障害者雇用に力を入れており、生地づくりや発送作業、製造ラベル貼りなど障害の程度に合った仕事を生み出していた。しかし、東日本大震災で、阿部さんの自宅や工場は津波に流され、廃業を余儀なくされた。そんな中、がれきの中から長年使っていたミキサーが見つかり、再起を誓う。再起の場所として選んだのは、知人を頼って避難した鳥取県。家族の反対を押し切り、震災から1か月後には一人で鳥取に移り住み、3か月後には鳥取にかりんとう工場を復活させた。しかし、阿部さんの目標はふるさと宮城の工場再建。建設業者不足などで予定より1年以上遅れたものの、震災から2年4か月後、宮城にかりんとう工場が帰ってきた。当面、鳥取から宮城を支援することに決めた阿部さん。そして震災から7年、阿部さんはついに誰にも言えなかった思いを仲間に告げる。阿部さんの決断を後押ししたのは、鳥取の仲間の成長、そして家族、ふるさとへの思いだった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.