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テレビ番組

庁舎は語る 大槌町 あの時なにがあったか

番組ID
213382
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放送日時
2018年05月31日(木)02:38~03:32
時間(分)
48
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
IBC岩手放送
製作者
IBC岩手放送
制作社
IBC岩手放送
出演者
ナレーション:村松文代、ナレーション:加藤久智、ナレーション:江幡平三郎
スタッフ
企画:江幡平三郎、構成:江幡平三郎、取材:江幡平三郎、取材:木下義明、撮影:相澤雄仁、編集:鈴木操、CG:佐藤洋介、タイトル:須藤幸子、タイトル:藤村香織、タイトル:佐々木梨沙、タイトル:津久井ひろえ、制作統括:中村好子、プロデューサー:中島勝志
概要
東日本大震災で、岩手県大槌町の職員は地震発生直後から役場庁舎前の駐車場に災害対策本部を設営し、情報収集に努めた。しかし、大津波警報が発令されたのを把握していたにもかかわらず、避難勧告も避難指示も出さないまま、災害対策本部を津波が直撃。町長を含めた職員28人が亡くなった。本来なら災対本部は役場から歩いて15分ほどの高台に建つ中央公民館に設置されるはずだった。なぜ災対本部は役場前に置かれ、避難情報は発信されなかったのか。震災から7年、町はこれまで2度にわたり検証を行ったが、明確な答えは出てこなかった。一方で、被災した庁舎の解体予算が町議会で可決され、「検証現場」は消えようとしていた。「あの時」なにがあったか、庁舎が解体される前にしっかり記録に残すため、番組では、町の2度にわたる検証と、独自に入手した災害対策本部の様子を撮影した写真、そして遺族や職員からの聞き取りから、「あの時なにがあったか」を見つめ直す。◆IBC東日本大震災報道特別番組。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第66回報道番組優秀)

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WATCH ~真相に迫る~ 湯川秀樹の日記 日本は原爆開発をしていた “The Diary of Hideki Yukawa: Japanese Atomic Bomb Project”(英語字幕版)

日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士。戦後、世界的な核廃絶運動の旗手となった湯川博士は、戦時中、日本が行っていた原子爆弾開発の研究「F研究」に参加していたことが博士の日記に記載されていた。博士がF研究参加について語っているのはこの日記が唯一とされる。F研究は博士が教授として所属していた京都帝国大学と海軍が行っていた。日記には、F研究の参加メンバーや当時の暮らしが淡々と記録されている。博士の教え子が語る、F研究とは。また研究の舞台となった京都帝国大学の研究室の今を取材した。当時、原爆開発は陸軍などでも行われ、「二号研究」と呼ばれたが、F研究、二号研究ともに失敗に終わる。戦後、博士は原子核の研究者として核爆弾の危険性を訴え、廃絶の必要性を説く。しかし、その訴えは今も実現していない。その遺志を、湯川秀樹研究の第一人者が引き継ぎ、今も核廃絶を訴えている。(英語字幕版)


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