テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ザ・書道ガールズ!! ~涙の180日!女子高生たちの甲子園~

番組ID
210562
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2010年09月04日(土)10:30~11:25
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
南海放送(RNB)
製作者
南海放送(RNB)
制作社
南海放送(RNB)
出演者
ナレーター:桜庭ななみ
スタッフ
撮影:三本靖二、撮影:山内登美子、ミキサー:浜口崇、音響効果:古川貴彦、美術:武田宏美、美術:松本優、広報:長野耕、ディレクター:松下和明、プロデューサー:松下和明、チーフプロデューサー:大西康司
概要
巨大な紙の上で女子高生たちが音楽に合わせて作品を書き上げて競う“書道パフォーマンス甲子園”は、日本一の紙の町・愛媛県四国中央市に活気を取り戻したいという地元女子高生たちの思いで、2008年に始まった。この話を元に映画も作られ、書道ガールズは全国的に知られるようになった。第1回の参加校わずか3校だったが、今年(2010年)7月開催の第3回には、全国から18校が応募。映画にも出演した地元・愛媛県立三島高校の書道ガールズは、映画祭で賑わうカンヌでもパフォーマンスを披露。これまで以上の注目を集めた彼女たちは、書道本来の動きのダイナミックさを追求する。初出場の熊本県立玉名高校は、定年退職する顧闇の先生と思い出を作りたいと生徒たちが応募するが、先生と生徒の間で衝突が度々発生。大会前日にも起きてしまった衝突に、生徒たちは先生に無断であることを決行する。大会当日、3000人の観客が会場を埋め尽くし、緊張感に押しつぶされそうになる書道ガールズは、精一杯の演技を披露する。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第64回放送と公共性最優秀(「書道パフォーマンス甲子園」9年の歩み))

同じ年代の公開番組

寝たきりアパート さまよう終の棲家

岐阜県内で数年前から医療や福祉に携わる関係者の間で、その存在を巡り様々な意見が交わされてきた「寝たきりの高齢者専用アパート」。◆「口から食事をとることのできない寝たきりのお年寄り」だけが入居できるこのアパートに対して「多くの疑問点がある」と指摘する後見人NPOの山田隆司さん。山田さんが後見人として関わることになった79歳の女性入居者は「寝たきりのまま」チューブで栄養を補給されていたが、山田さんがアパートから“救出”し、病院でリハビリを受けさせた結果、口から食事が取れるようになり、さらに車椅子に乗って移動もできるまでに回復したのだ。◆また、この女性に掛かった費用を検証すると、明らかに不自然な「医療保険」の“活用”が浮かび上がってきた。寝たきりアパートの運営に多額の“公金”が巧妙に使われている疑惑が見えてきた。◆その一方で、「医療費抑制、医療制度改革」のあおりを受け、病院や老人介護施設などから締め出され、在宅でも家族が面倒を見られない「医療行為を必要とする高齢者」が行き場を失ってしまうケースが増えている。そうした高齢者を抱えた家族にとっては「寝たきりのお年寄り」を引き受けてくれるアパートの存在は“救世主”に思えるという。◆こうした施設は国の高齢者政策が後手に回っている現状に付け込んだ“仇花”のような存在だと専門家は指摘する。また長妻厚生労働大臣は取材に対して「施設に問題点があるとすれば取り締まる。また公金が医療費抑制の陰で無駄に支出されているなら見直さなければならない」と明言した。寝たきりアパートの経営者は「自分たちはあくまでも困っている人達のニーズに応えてビジネスを展開しているだけだ」と語った。◆“高齢社会ニッポン”の歪みに存在する“寝たきりアパート”。現在もそこで180人のお年寄りが暮らしている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ザ・ドキュメンタリー 人生の教室 ~カンボジア日本人教師~

カンボジアで日本語を教えている檜尾睦先生は70歳。日本語教師になったきっかけは、岡山の公立中学の校長時代にネパールの学校を訪問したこと。貧しい中、懸命に勉強する子どもたちの姿に心を打たれた。彼女は日本語教師の資格を取り、定年後の2000年にNGOの募集記事を見て迷わず応募した。無給・生活費持ち出しを承知の上でのことだった。◆初めて踏み入れた教室には、27人の子どもた待っていた。クメール語の分からない教師と、日本語・英語の分からない子ども。先生はかまわず日本語で日本語を教えた。あいさつのできない子、宿題をしてこなかった子には厳しくしかった。その一方で欠席した子どもを気にし、授業の合い間を縫っては子どもの家を訪れ、子どもの様子を聞き、両親に日本語を学ぶ意味を説き続けた。◆カンボジアで暮らして10年。日本語を身につけ、ホテルマンや観光ガイドなどとして自立する教え子も生まれ、先生の出身地・岡山では、教え子を留学生として受け入れてくれる高校も出来た。第二の人生の足跡を着実に残した彼女。「子どもを助けるつもりが、逆に助けられていた」と振り返る。◆最初の教え子たちが、彼女を悲しませ帰国させないよう、言葉の意味は分からなくても彼女の発音通りにオウム返しするよう、打ち合わせていたことを、彼女は後年知ったという。教師として子どもたちを育てる舞台を日本からカンボジアに移した今も、その笑顔はきらめき続けている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.