テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

命をつなぐ 岡山から見つめる移植医療

番組ID
210522
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年04月25日(土)14:30~15:25
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
岡山放送(OHK)
製作者
岡山放送(OHK)
制作社
岡山放送(OHK)
出演者
ナレーター:津野まさい
スタッフ
構成:関盛秀、撮影:平井大典、編集:平井大典、撮影:浦上順司、題字:堤谷梗華、CG:加藤裕理、CG:名古谷綾、編成:吉岡主樹、ディレクター:大黒友香、プロデューサー:塚下一男
概要
臓器提供を受けた女の子の家族、臓器を提供した女の子の家族、臓器提供を待っている男の子の家族、そして、母親の肺を息子に移植した家族。子どもの移植医療に直面した4つの家族の思いを描く。◆臓器提供がなかなか進まない日本。特に6歳未満の幼い子どもからの臓器提供はほとんどなく、小さい臓器を必要とする子どもたちは移植を受けられる可能性が極めて低い。国内3例目の6歳未満の臓器提供は2015年1月のことだった。提供された肺は岡山大学病院で、余命1年と宣告されていた女の子に移植された。実はその臓器を提供した女の子も心臓移植待機中だった。移植を待つ身の辛さを感じていたからなのか、脳死と判定されたとき両親はすぐに臓器提供を決断したという。「移植という治療法があるのに受けられない」その現状に直面した時、何を思ったのか。それぞれの家族の思いから「移植医療のいま」を考える。

同じ年代の公開番組

メ~テレドキュメント 奪還 「英雄」の妻 佐々木敦子の70年

2015年5月、愛知県体育館で「ピンボン外交記念モニュメント」の除幕式があった。モニュメントに書かれたピンポン外交の説明文に、荘則棟の名前はない。そのことを知った佐々木敦子さんは怒りを露にした。建国間もない中国に夢と希望をもたらした荘則棟と、妻・敦子さんの半生を追ったドキュメンタリー。◆敦子さんは1944年に当時の満州で生まれた。そして、終戦後も獣医だった父親の研究のために家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし、敦子さんは祖国での暮らしに馴染めなかった。そんな時に、名古屋で「世界卓球選手権大会」が開かれた。中国選手が参加することがわかり、敦子さんは名古屋へと向かった。選手のいるホテルを訪ね、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘はのちにスボーツ大臣にまでなったが、中国の指導者、毛沢東が亡くなり、荘は「四人組の協力者」と見なされて4年間監禁され、その後、地方に追放された。敦子さんは荘の境遇を知り、北京で再会。荘を救おうとし、いつしか結婚を望むようになった。しかし当初、中国政府は2人の結婚を認めなかった。やがて結婚が認められて、2人は北京で20年以上幸せに暮らす。そして、2013年に荘則棟がガンで亡くなった。中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組