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テレビ番組

新九州遺産 鹿児島 薩摩の外城

番組ID
209585
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放送日時
2015年01月01日(木)07:30~08:24
時間(分)
48
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
南日本放送(MBC)
製作者
南日本放送(MBC)
制作社
南日本放送(MBC)
出演者
ナレーション:美坂理恵
スタッフ
テーマ曲:Viento、美術:新村友美、クレーン:村岡竜樹、空撮:黒木俊充、カメラ:江夏豊、カメラ:濱元二男、カメラ:木場洋道、カメラ:田之畑勇作、音声:江平美幸、音声:宮原拓也、音声:新川高史、音声:房伸一郎、ディレクター:武藤久、プロデューサー:山崎兼敏
概要
JNN九州・沖縄共同制作シリーズ「新九州遺産」。九州沖縄地方の豊かな自然や古来からの歴史、多彩な文化など、かけがえのない郷土の遺産を後世に伝える。NEC Presents。◆江戸時代は石高・七十二万石と、加賀百万石に次ぐ大藩だった薩摩藩。しかし、島津氏は外様大名ゆえに、城には天守閣がなく屋形造りの居館だった。そんな中、幕府の脅威に対して鹿児島城を「内城」と呼び、領国内には113もの「外城(とじょう)」が敷かれた。外城とは行政区域のことで、麓(ふもと)という武士集落をつくり、防衛にあたった。“城をもって守りと成さず、人をもって守りと成す”薩摩藩独特の統治政策「外城郷士制度」であった。番組では、現在も鹿児島県内各地に点在する麓の町並みをまとめ、そこで育まれた武士の文化や教えを受け継ぐ人々の姿を描く。

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