テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

いきがい ~95歳 現役菓子職人の明け暮れ~

番組ID
210383
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年04月29日(水)20:54~21:50
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)
出演者
ナレーション:余貴美子
スタッフ
構成:村松淑子、撮影:中根久、撮影:五藤充哉、撮影:高村勝巳、撮影:森川琢磨、音声:山岸亮、CG:中沼喜子、MA:葛誠司、選曲:山崎誠純、撮影:松井隆雄、編集:松井隆雄、ディレクター:日比あゆみ、プロデューサー:馬場宏治、制作統括:服部寿人
概要
富山県黒部市。人通りも少ない富山地方鉄道・石田駅の前に「紙谷製菓舗」は店を構える。ここで独り暮らしをしながら、たったひとりで店を切り盛りしているのが、95歳のご主人・紙谷繁夫さん。たくさんの皺が刻まれた手から生み出されるのは、細かい細工が施された和菓子や、食べた人をほっとさせる洋菓子だ。◆店先のショーケースは決してにぎやかではないけれど、すべてのお菓子におじいちゃんの技術と人柄がにじみ出ていて、足を運ぶお客さんは絶えない。季節のお菓子「あずまやき」は大人気。紙谷さんはひとりで徹夜の作業をして、800個を仕上げる。◆お菓子が人を笑顔にする力があることを、おじいちゃんは知っている。かつて海水浴客でにぎわいをみせた黒部の街、戦友を亡くしたつらい戦争。子どもたちを事故から守りたいとはじめたボランティア…。おじいちゃんの人生にはいつもお菓子作りがあった。◆今、生きていること、今、仕事ができていること、何気ないおじいちゃんの日常には「ありがとう」の言葉があふれている。そんなおじいちゃんの口癖は「一日一日、感謝して生きる」。お菓子作りは生き甲斐だという、生涯現役を貫いた菓子職人の1年6ヶ月を描く。

同じ年代の公開番組

メ~テレドキュメント 奪還 「英雄」の妻 佐々木敦子の70年

2015年5月、愛知県体育館で「ピンボン外交記念モニュメント」の除幕式があった。モニュメントに書かれたピンポン外交の説明文に、荘則棟の名前はない。そのことを知った佐々木敦子さんは怒りを露にした。建国間もない中国に夢と希望をもたらした荘則棟と、妻・敦子さんの半生を追ったドキュメンタリー。◆敦子さんは1944年に当時の満州で生まれた。そして、終戦後も獣医だった父親の研究のために家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし、敦子さんは祖国での暮らしに馴染めなかった。そんな時に、名古屋で「世界卓球選手権大会」が開かれた。中国選手が参加することがわかり、敦子さんは名古屋へと向かった。選手のいるホテルを訪ね、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘はのちにスボーツ大臣にまでなったが、中国の指導者、毛沢東が亡くなり、荘は「四人組の協力者」と見なされて4年間監禁され、その後、地方に追放された。敦子さんは荘の境遇を知り、北京で再会。荘を救おうとし、いつしか結婚を望むようになった。しかし当初、中国政府は2人の結婚を認めなかった。やがて結婚が認められて、2人は北京で20年以上幸せに暮らす。そして、2013年に荘則棟がガンで亡くなった。中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
語り継ぐ…戦後70年愛媛の記憶

戦後70年という月日は私たちにとって何を意味するのか。その時を生きた人々が語る貴重な証言から考える。みんなのニュースえひめスペシャル。◆「物がない日常の記憶」:太平洋戦争を10代という多感な年頃で過ごした女性たちに、当時のリアルな日々の生活について聞く。そして満足に食べることもままならなかった戦時中の食事を、記憶をたよりに再現してもらう。◆「松山空襲、戦禍の記憶」:1945年7月、愛媛県内最大の空襲となった松山空襲。当時15歳だった中山淳さんは兄弟の手を引いて走り、水田のあぜ道で難を逃れた。この時の米軍の作戦任務報告書には、最大限に破壊効果が得られる爆弾の量や破壊率などが詳細に記載されていた。松山は2時問で焼き尽くされ、中山さん曰く「音さえも燃えた」という。◆「練習台にされた町の記憶」:原爆が投下される直前の1945年7月。愛媛県東部の工業都市・新居浜に2発の模擬・原子爆弾が投下された。米軍はこの模擬原爆を全国49ヵ所に投下し、集めたデータを元に広島・長崎への原爆投下を決行した。◆「物言わぬ爪痕が刻む記憶」:戦闘機や偵察機などの飛行機を敵の空襲から守るために作られた掩体壕。元海軍航空兵の杉野富也さんは、日々死を覚悟しながら戦いの空へと飛び立った一人だ。旧松山基地の掩体壕を「遠い空で死んでいった仲間の墓標として残してもらいたい」と話す。◆「記憶を平和へ語り継ぐ」:愛媛県東部の商業都市・今治市で10歳の時に終戦を迎えた新居田大作さんと、現在「平和学」の授業で戦争について学ぶ大学生・清水里紗さん。二人の交流の中で悲惨な戦災体験が昨日のことのように語られる。時間の限り伝える努力をしたいという新井田さんの話は、清水さんの心境を「想い」から「行動」へと大きく変化させていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組