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テレビ番組

SBSスペシャル 里の時間 ~縁側で待つ人たち~

番組ID
210363
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放送日時
2015年10月11日(日)16:00~16:55
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
静岡放送(SBS)
製作者
静岡放送(SBS)
制作社
静岡放送(SBS)、SBSメディアビジョン
出演者
ナレーション:ayako_HaLo
スタッフ
撮影:三島乾児、音声:内田勝也、音声:篠原尚文、EED:村松聡、MA:仁木幸也、音響効果:阿部朋也、CG:高橋美香、宣伝:柴和宏、企画:鈴木俊夫、演出:大久保友恵、プロデューサー:阿部朋也、制作:原木雅雄、制作:小川満
概要
静岡県浜松市天竜区春野町は「限界集落」をいくつも抱える典型的な過疎の町。行き交う車もないこの町を、週6日必ず走る軽トラックがある。「便利屋猿ちゃん」の移動販売の車だ。◆猿田光里さん(70歳)はお年寄りの世帯を回り、日用品や食料品を届けている。スーパーもコンビニもない地域で、週に一度やってくる猿田さんは、まさにライフライン。加えて楽しみなのが、縁側で猿田さんと交わす何気ない会話だ。◆山深い石切地区に暮らす久保サワさん(90歳)は、亡き夫と耕した畑を守りながら一人で暮らしている。訪問者はほとんどなく、猿田さんが唯一の話し相手。鈴木さち子さん(81歳)は、体の不自由な夫の昭さん(89歳)と二人暮らし。自動車免許がなく、夫の介護で外出もままならず、猿田さんから1週間分の食料を買いだめする。◆移動販売を始めて10年。猿田さんは40人以上のお客さんの死に向き合った。一人暮らしの八郎さんは体調を崩し、訪ねてきた猿田さんの連絡で入院、90歳の生涯を終えた。そして、キャラメルを買うのが好きだった101歳のなっちゃんも…。◆「時間を止めることはできないけれど、心に温かいものを届けることならできるはず」と猿田さんは話す。あわただしい日常とは無縁の山里にも等しく時間は流れ、人は静かに年月を重ねていく。6年間の取材を通じ、寂しくなっていく山里の姿と深まっていく猿田さんと住民たちの絆を追った。

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