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テレビ番組

いしぶみ ~忘れない あなたたちのことを~

番組ID
209939
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放送日時
2015年08月01日(土)13:30~14:55
時間(分)
72
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)、ドキュメンタリージャパン
出演者
朗読:綾瀬はるか、ナビゲーター:池上彰
スタッフ
原案:薄田純一郎、原構成:松山善三、撮影:山崎裕、撮影:鈴木克彦、撮影:高野大樹、美術:堀尾幸男、美術:長谷川未和、照明:中川隆一、照明:橋野明智、録音:弦巻裕、録音:森英司、録音:冨田和彦、スタイリスト:椎名直子、ヘアメイク:中野明海、プロジェクション:栗山聡之、装飾:雪入三廣、美術制作:平井治郎、スタジオ担当:牛房修一、スタジオ進行:宮坂博隆、画像処理:織山臨太郎、EED:池田聡、ミキサー:桑木知二、作曲:武満徹、題字:西川美和、演出補:可香谷慧、演出補:大田隆之、演出:是枝裕和、プロデューサー:橋本佳子、プロデューサー:佐藤宏、制作統括:小出和昌
概要
原爆で全滅した広島二中の一年生321人の記録。名作ドキュメンタリー「碑」(1969年放送)を、是枝裕和が現代によみがえらせる。遺族の手記を綾瀬はるかが読み語り、池上彰がリポート。「ヒロシマ」を多声的に伝え、改めて人類全体の教訓とする。戦後70年特別番組。◆太平洋戦争末期、広島では空襲による火災の延焼を防ぐ目的で、市街地の住宅を撤去する作業が続いていた。昭和20年8月6日。旧制広島第二中学校の一年生と教師4人は、作業前の点呼の為に爆心直下の本川土手に整列していた。そして迎えた午前8時15分。上空600メートルで炸裂した原子爆弾・リトルボーイの熱線と爆風は、12歳の少年たちを焼き尽くした。◆全滅した321人の子供たち…。生き残った老父母は「死児の齢」を数えながら、その日の愛児の様子を綿々と綴った。抽象的な舞台美術の中で、その手記を坦々と読み上げていくのは、女優・綾瀬はるか。そしてナビゲーターの役割を担うジャーナリスト池上彰が、なぜ子供たちが満足に食べ物もない中で学徒動員に駆り出されて熱線に焼かれなければならなかったのか、新たな事実を掘り起こす。演出・編集を手がけた是枝裕和は4台のカメラを駆使。松山善三による旧作の脚本に新たな息吹を吹き込み、綾瀬の朗読を被爆70年目の新たな目線で切り取る。

同じ年代の公開番組

ひろしま百景 ~被爆70年・奇跡の街~ 声よ届け “Delivering my Voice” (英語字幕版)

原爆投下から70年。広島に残されている歴史資料(写真・被爆手記・被爆絵画)や当時の映像資料を使いながら、奇跡の街の復旧・復興を紹介するミニ番組シリーズ。未曾有の惨禍と恐怖の中、我々の想像をはるかに超える力を発揮した人々の姿を伝える。◆原爆投下で広島市内の通信手段は壊滅した。爆心地から約540mの場所ににあった広島中央電話局も通信設備は壊滅し、多くの局員が死亡重軽傷を負った(死亡216人・負傷243人)。広島城にあった中国軍管区司令部通信室も壊滅的打撃を受けたが、地下壕「通信室」の軍事専用電話は奇跡的に生きていた。通信室で交換台に勤務していた岡ヨシエさんは、警報伝達中に被爆(当時比治山高等女学校3年生で学徒動員)。意識が戻った時、目に映ったのは、瓦礫と化した広島の街だった。「そうだ、まだ通話できる所へ早く連絡を…」。九州・福山の司令部に被災第一報連絡「もしもし大変です…広島が新型爆弾にやられました。全滅に近い状態です」。局員は焼け残りケーブルの回収に奔走、8月13日には試験開通し、15日には14回線を復旧した。一日でも早い回線の復旧は、市民に「希望の声」を届ける最初の息吹となった。(英語字幕版)


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